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ひまわりの種324 [世界]

中国では、大変な尊敬(そんけい)を集めている、大指導者、周恩来(しゅうおんらい)総理の名前は、歴史などで、知っている人も多いと思う。その周恩来総理は、1972年、日中国交正常化を実現させた。

日中国交正常化というと、日本では、表面上は、その時の総理だった、田中角栄氏が実現させたように言われているけれど、実情(じつじょう)は違っている。

田中角栄総理は、お膳立(おぜんだて)てが、すべて整(ととの)えられて、最後に調印(ちょういん)にサインしたということだけで、実際(じっさい)は、日中国交正常化のために努力してきた人たちが、別にいる。

その日中国交正常化に尽力(じんりょく)した、大功労者(だいこうろうしゃ)が、創価学会インターナショナル会長である、池田大作先生だと、言える。


当時、中国の周恩来総理は、民間交流の着実(ちゃくじつ)な積(つ)み重(かさ)ねの上に、国家関係の改善(かいぜん)を図(はか)ろうとしていた。

『民(たみ)を似(もっ)て、官(かん)を促(うなが)す。』

それが、周恩来総理の外交哲学(がいこうてつがく)であった。

そして、その哲学は、対日政策(たいにちせいさく)にも適用(てきよう)された。

周総理は、「大衆の中に基盤(きばん)を持つ団体」として、「創価学会(そうかがっかい)」に早くから注目していた。1960年代前半のことである。それは、池田先生が、創価学会第3代会長に就任(しゅうにん)し、日本を左右する社会的勢力(せいりょく)へ、大発展する時期である。

周総理は、対日政策(せいさく)の関係者に、創価学会の研究を指示(しじ)した。

また、そのころ、相次(あいつ)いで訪中(ほうちゅう)した、中国との友好を志 (こころざ)す松村謙三氏、高崎達之助氏が、周総理に創価学会を好意的に紹介した。

一方、SGI(創価学会インターナショナル)会長の池田先生は、1961年、東京・両国支部の結成大会で、中国の国連復帰(こくれんふっき)を提唱(ていしょう)。

1964年の11月、公明党結党にあたっては、「創立者からの唯一(ゆいいつ)のお願い」として、日中国交正常化への努力を促(うなが)した。

1966年5月には、作家の有吉佐和子氏を介(かい)して、『中国にご招待(しょうたい)します。』との周恩来総理の伝言が、SGI池田会長に伝えられる。

そして、周総理の信頼を決定づける出来事が起った。

1968年9月8日、東京・日大講堂で、池田先生は、1万数千人の青年を前に、『日中国交正常化提言』を行った。

当時、反対勢力(はんたいせいりょく)もあり、日本と中国の関係は、厳(きび)しいものがあった。そういう意味で、国交正常化を提言(ていげん)することは、自分の身に危険がおよぶ可能性もあった。その中での提言である。

日中国交正常化を望む、友好の先達(せんだつ)である松村謙三氏は、『百万力の力を得た!』と語っています。

そして、1972年、日中国交正常化は、実現していく。

そして、後に、1974年、池田先生と周恩来総理は、会見する。

その当時、周恩来総理の病状は、大変悪化していて、きびしい状態にあった。

1974年12月5日、場所は北京(ぺきん)の305病院。周総理の入院先は機密事項(きみつじこう)で池田SGI会長は後に、そこが病院だったことを知る。

その日の午前、池田SGI会長は、トウ小平(とうしょうへい)副総理に会っている。
中国側が池田SGI会長を最大に遇(ぐう)した表(あらわ)れだが、同時にそれは、総理自身には会えないことを意味していた。

しかし、12月5日夜の答礼宴(とうれいえん)の席上、中日友好協会の・廖承志(りょうしょうし)会長が、そっと告(つ)げた。

「池田会長、周恩来総理が、待っておられます。」

それは、周総理自身の強い意向(いこう)であることは明らかであった。

SGI池田会長は、総理の健康を心配し、いったんは固辞(こじ)するが、「それでは2、3分だけ。ひと目お会いしたら、失礼をさせてください」と、車上(しゃじょう)の人となった。

実は、その時、周総理は、『会見するなら命の保証(ほしょう)はできない!』と医師団に猛(もう)反対されていた。

だか、総理は、『どんなことがあっても会わねばならない!!』と譲(ゆず)らない。

「周恩来同志(どうし)がそこまで言うのなら・・!」という、トウ頴超婦人(とうえいちょう/周総理夫人)の進言(しんげん)によって、『5分だけ』との条件付きで、認められたのである。

会見上には、池田SGI会長と香峯子婦人(かねこ/池田会長夫人)だけが入った。総理を疲(つか)れさせないよう、SGI会長が、そう希望したのである。

「池田会長とは、どうしてもお会いしたいと思っていました。お会いできて本当にうれしい。」

「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展は、どんなことをしても必要であるということを何度も提唱(ていしょう)されている。そのことが私にはとてもうれしい。」

池田会長は、答える。
「中日友好が今日まで発展できたのは、私たち双方(そうほう)の努力の成果(せいか)であり、そして、私たちは、その努力をこれからも続けて行くことを希望します。」

時に総理76歳、SGI池田会長46歳。

「あなたが若いからこそ、大事に付き合いたいのです。」

総理は言った。

語らいは終始、和(なご)やかに進んだ。「そろそろお休みください。」と書かれた医師団からのメモが総理に渡された。

総理は、メモを制(せい)して話しを続けた。

「ご出身はどちらですか」
「東京です」とSGI会長。
香峯子夫人も「東京です」。
SGI会長が「二人で一人前です」と付け加えると、呵々大笑(かかたいしょう)する総理であった。

だが、中日の未来について語る時、その目は鋭(するど)かった。

「中日平和友好条約の早期締結(ていけつ)を希望します」
「20世紀の最後の25年間は、世界にとって最も大事な時期です。お互(たが)いに平等な立場で助け合い、努力しましょう。」

池田SGI会長は、それを総理の『遺言(ゆいごん)』と受け止めた。

医師団が、5分だけと条件をつけて認められた会見は、周総理の意向(いこう)によって、30分に及(およ)んだ。


会見の後、池田SGI会長が、日中のために最も心血(しんけつ)を注(そそ)いだのは、青年交流だった。

創価大学に、国交正常化後初の国費留学生を受け入れ、その後、創大に学んだ留学生の中から、友好を担(にな)う多くの指導者が育った。

創大と中国の各大学との教員・留学生の交換(こうかん)、全青連(中華全国青年連合会)と創価学会青年部の相互交流(そうごこうりゅう)。- - - その池田会長が築(きず)いた『金の橋』を渡(わた)って、無数の若い友情が生まれた。


思えば周総理も、日本に遊学(ゆうがく)し、青雲(せいうん)の志(こころざし)を燃やした一人である。

「五十数年前、私は、桜の咲(さ)くころに日本を発(た)ちました・・・」

会見で総理は、日本留学の日々を、懐(なつ)かしそうに振(ふ)り返った。

周総理の来日は大正年代。中国人への強い差別(さべつ)にさらされ、抗日(こうにち)運動にも関(かか)わっている。だが、その後の総理の日本へのまなざしには、鋭(するど)い分析(ぶんせき)の一方で、温かいものが通(かよ)っている。

その感情の源(みなもと)には、日本の庶民(しょみん)との触(ふ)れ合いがあった。

異国(いこく)から来た貧(まず)しい周青年に、何かと世話(せわ)を焼いてくれる下宿(げしゅく)のおばちゃんがいた。
「お腹(はら)がすいてるでしょう?」と、いつもご飯(はん)をごちそうしてくれた。

「とくに、その中の豆腐(とうふ)を使った料理が、じつにおいしかった。」
「下宿に帰って、そのあばちゃんと話すとホッとした。」

周総理が、日本の友人に語ったエピソードである。

人間と人間との、温かな触(ふ)れ合いのひとしずくが集まって、やがて国と国の友好の大海へと注(そそ)ぐ。

凪(なぎ)の時も、嵐(あらし)の時も、そのひとしずくに思いをはせたい。

大衆の中で、大衆とともに - - -

周総理が残し、池田SGI会長が受け継(つ)ぎ、広げてきた、友好の永遠の基盤(きばん)である・・・。

タグ:中国
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ひまわりの種323 [悩み]

人気のあるアニメで、「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメがあります。

この物語は、魔法(まほう)少女に対するあこがれを、逆手(さかて)にとったようなダークな内容ですが、通称(つうしょう)キュウべえという宇宙生命体が、 少女に、どんな願いでも、ひとつだけ叶(かな)えてあげるかわりに、魔法少女となって、魔女と戦ってほしいという契約(けいやく)を結(むす)ぶ物語で、少女たちは、自分の願いをかなえるために、魔法少女となって、魔女たちと戦うことになる。

魔法少女となったものは、魔女の呪(のろ)いを受けることになり、ほっておいたら、その魔女の呪いによって、自分が死んでしまうことになる。けれど、魔女を倒すと、ある種の生命を浄化(じょうか)するアイテムが手に入り、そのアイテムによって、自分の生命を浄化して、生きながらえることができるという話しです。

だから、魔女と戦い、魔女を倒(たお)すしかない・・。それでも、このアニメの中で、魔女は、呪(のろ)いによって、人間の命を奪(うば)う、悪そのもののような存在なので、魔法少女たちは、その悪である魔女を倒して、人々と、この世界を守るという正義(せいぎ)と使命感(しめいかん)があり、それが、彼女たちの支(ささ)えになっていた。

けれど、魔法少女たちは、やがて、その悪そのものである「魔女」が、実は、魔法少女のなれのはてであることを知ってしまう。魔女とは、実は、魔法少女の生まれ変わりであり、魔法少女たちは、魔女の呪いによって、最終的には、「魔女」になってしまう。

すなわち、自分たちは、世界のため、人々のためと思い、正義と希望をいだいて魔女と戦ってきたのに、結局(けっきょく)、自分たちが、人間を呪い、殺していく魔女になることがわかってしまい、正義と希望が、完全に打ち破(やぶ)られてしまう。そして、魔法少女たちは、絶望(ぜつぼう)していく。

そして、最後の最後、魔法少女になることを拒(こば)んでいた、マドカは、魔法少女となることを決断する。


ひとつの願いと、ひきかえに・・・。


その「マドカ」が叶(かな)えてほしい願いとは、「過去から現在にいたるまで、魔法少女から魔女が誕生する前に、すべての魔女を消滅(しょうめつ)させてほしい!!」・・ということだった。

そうなれば、魔法少女たちは、自分が死ぬ時に、自分が魔女になるという絶望をいだかず、希望と正義をもって、安らかに死んでいける・・。

「魔法少女たちの希望と正義を奪(うば)わないでほしい・・」

それが、マドカの願いだった・・。

そのマドカの願いは、かなえられるが、その願いがあまりにも壮大(そうだい)であるため、マドカは、人間としての個体を保(たも)つことができず、宇宙のある種の法則(ほうそく)、概念(がいねん)となって、宇宙の中に溶(と)けこんでいく。


マドカは、いわば、魔法少女の希望となって、宇宙に消えていった。


そうして、魔法少女たちは、絶望をいだくことなく、死んでいけるようになっていく。


絶望から、希望へ。

マドカの願いは、この絶望を消し去り、希望を生み出すことだったのかもしれない。

あらゆる人々の中から、絶望を消し去り、希望を生み出す・・・。

わかりやすい譬(たと)えだから言うのだけれど、創価学会(そうかがっかい)の人々がとなえている、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』とは、そういう力(ちから)だと思う。

すべての人の中から、絶望を消し去り、希望を生み出してしまう!

それが、『南無妙法蓮華経』の力です。

だから、創価学会の人たちは、『南無妙法蓮華経を、となえる!』ことによって、どんな苦難(くなん)も乗り越(こ)えていくことが、できる。どんな絶望も打ち破(やぶ)り、希望を生み出し、そして人生に勝っていける。

南無妙法蓮華経をとなえることは、無限の希望をもたらすので、結果として、それは、自分のさまざまな夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経の力は、計(はか)り知れないので、それだけではないけれど、希望を生み出す力、絶望を打ち破る力が、南無妙法蓮華経だと言えます。


話しは少し変わりますが、このアニメのストーリーの中で、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく・・」というような表現がでてくる。

確かに、デタラメな宗教、間違(まちが)った宗教においては、そう表現(ひょうげん)しても、いいかもしれない・・。

間違った宗教、デタラメな宗教に祈るということは、その間違った宗教、デタラメな宗教に、自分の生命と人生を、ささげていくことになる。

間違った、デタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげていったならば、当然(とうぜん)の結果として、自分の生命と人生は、間違った、デタラメなものになっていく。

自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう・・!ということです。

だから、それは、結果として、「祈れば祈るほど、呪(のろ)われていく」ということになってしまう。

それが、間違った宗教、デタラメな宗教というものです。

そして、その間違った宗教、デタラメな宗教が、日本にはびこっている、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や神社信仰、観光宗教などです。


それとは逆(ぎゃく)に、『祈れば祈るほど、幸せになっていく!』『祈れば祈るほど、希望を生み出していける!』のが、さっきも言ったように、創価学会の人たちが実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。


南無妙法蓮華経とは、希望の法則なんです・・!


間違った宗教、デタラメな宗教のように、祈れば祈るほど、不幸になっていくようなことは、あってはならない!

本当に幸せになっていける宗教。本当に悩みを解決していける宗教。本当に希望をかなえていける宗教が求められる。

それが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰です。


このアニメで、まどかは、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望となった。それは、アニメの中の話しだけに、あまりにも壮大(そうだい)で、宇宙規模(きぼ)の物語だけれども、それと同じように、壮大なエネルギーが、ぼくたち人間の中にもある!!

その壮大な希望のエネルギー・・!

それが、『南無妙法蓮華経』だと言える。

絶望を打ち砕(くだ)き、希望を生み出す、壮大(そうだい)な壮大な、希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』だと表現できます。

だから、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、ぼくたちの中から、その壮大なエネルギーが湧(わ)き上がってくる。それは、人間が持っている本源的(ほんげんてき)なエネルギーとも言えますが、その人間が本来(ほんらい)持っている本源的なエネルギーが湧(わ)き上がってくるから、悩みを解決していけたり、困難(こんなん)を打開(だかい)できたり、夢や希望をかなえていけたりするわけです。そして、幸せと勝利をつかんでいける・・!!


あえて、譬(たと)えるならば、アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、 自(みずか)ら、宇宙の力、宇宙の法則(ほうそく)となって、宇宙をかけめぐり、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように、ぼくたちが、南無妙法蓮華経をとなえる時、宇宙の希望のエネルギーが、ぼくたちの生命の中を、かけめぐる。

そして、絶望を消し去り、希望を生み出していく。

その本源的で、宇宙的とも言える、幸せのエネルギーであり希望のエネルギーが、『南無妙法蓮華経』であり、絶望を消し去り、希望を、どこまでもどこまでも開花していける方法が、創価学会の人たちが実践している、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


それは、あたかも、
アニメ「魔法少女まどか☆マギカ」の中で、マドカが、魔法少女たちの絶望を消し去り、希望を生み出していったように・・・。

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ひまわりの種322 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『御書(ごしょ)に、「教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・」と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。』

ちなみに、御書(ごしょ)とは、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が書かれた、論文や手紙をすべて集めたものです。

また、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

ここで、まず引っかかるのは、当然(とうぜん)これは、創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰のことを言っていますが、創価学会の信仰と、『釈尊(しゃくそん)』は関係あるのか??ということです。

釈尊とは、ブッダとも釈迦(しゃか)とも言われていますが、いわゆる仏教の創始者(そうししゃ)ですから、知っていると思います。日本のさまざまな仏教の大元(おおもと)は、この釈迦(しゃか/釈尊)から来ていると言えます。

ただし、現代の日本の仏教は、釈迦(しゃか)の仏法(ぶっぽう)とは、かけはなれたもので、単なる形だけです。釈尊(しゃくそん)の教えのかけらもない!と言ってもいいでしょう。だいたい、釈尊は、『坊主は葬式(そうしき)に出てはいけない!葬式というものは親しい知人や家族でやるものだ。 そんな暇(ひま)があったら、今、苦しんでいる人のもとに行ってあげなさい。』と言っているので、坊主が葬式でお経(きょう)をあげるのは、仏教でもなんでもない。ただの金儲(かねもう)けのエセ宗教だと言えます。

形だけ真似(まね)て、お金儲けに利用しているだけですから、かえって害(がい)になり、そんな害になるものを人々に信じ込ませていれば、その人々に害毒(がいどく)が伝わり、その人たちを不幸にしてしまう!ということです。

どういうことかというと、間違(まちが)ったデタラメの宗教に祈るということは、その間違ったデタラメの宗教に、自分の生命と人生をささげることになります。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然(とうぜん)、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメのものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸がもたらされてしまう!ということです。

不幸の根源(こんげん)には、形骸化(けいがいか)した仏教にかぎらず、神社信仰や観光宗教など、それらの間違った宗教がある!ということです。


話しを戻(もど)しますが、釈尊は、仏教の創始者(そうししゃ)です。そして、釈尊が、何を伝えようとしたか?というと、それは、『生命の法則(ほうそく)』であり『宇宙の法則』です。簡単(かんたん)に言えば、それは、『幸せになるための法則』です。

それを、釈尊は、伝えようとしました。

そして、その幸せになるための究極(きゅうきょく)の法則がこめられたものが、釈尊の『法華経(ほけきょう)』です。
だから、釈尊の法華経には、その生命における、あるいは宇宙における、『幸せになるための法則』が込(こ)められています。

だったら、その釈尊の法華経(ほけきょう)をやればいいじゃないか・・!と思うかもしれませんが、それも違(ちが)います。

法華経というと、釈尊の法華経を思い浮(う)かべますが、法華経というのは、さっきも言ったように、幸せになるための法則です。そして、それは時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違ってきます。

釈尊の時代であれば、その、釈尊の法華経をやれば、幸せになれましたが、現代では、なれません。この現代に、釈尊の法華経をいくら、やったとしたも、幸せにはなれないし、何の効力(こうりょく)もありません。

これは、釈尊自身が言っていることですが、釈尊が亡(な)くなってから2000年以上経(た)った、この現代という、思想・人心が乱(みだ)れた時代では、釈尊の法華経は、返って害(がい)になり、人々を不幸にする原因(げんいん)にしかなりません。

だから、現代の日本のさまざまな仏教は、良く見積(みつ)もっても、その釈尊の仏教の域(いき)をでていないし、はっきり言えば、釈尊の仏教を適当に変え、めちゃくちゃにしたような宗教ですから、なんの効力もなく、幸せにもなれません。 返って、でたらめなメチャクチャな宗教ですから、そのメチャクチャの当然の結果として、害になり、人々を不幸にしてしまう!ということです。


では、釈尊が、本当に伝えようとした『幸せの法則』とは何なのか?

さきほど、法華経といっても、時代時代によって、表現の仕方(しかた)が違うと言いましたが、今生きている人々を、現実に幸せにしていける『現代の法華経(ほけきょう)』とは何なのか??ということになっていきます。

実は、その答えが秘(ひ)められているのが、釈尊の法華経だと言えます。

その釈尊の意図(いと)と隠(かく)れたメッセージをくみとり、唯一(ゆいいつ)正しく理解し、その現代の人々が幸せになっていける『真実の法華経』を発見し広めたのが、日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)です。

そして、現代の人々が幸せになっていける、『真実の幸せの法則』『生命の法則』『宇宙の法則』が、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)』なんです。

だから、『南無妙法蓮華経』とは、釈尊が本当に伝えたかったものなんです。

そして、『南無妙法蓮華経』が、今生きている人々が真(しん)に幸せになっていける、『現代の法華経』なんです。

だから、今、現実に効力(こうりょく)のある、悩みを解決していける、夢や希望をかなえていける、力(ちから)ある幸せの法則が『南無妙法蓮華経』であり、それが、『現代の法華経』です。

だから、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる信仰は、釈尊が真に伝えたかった法華経であり、人々を幸せにしていける、仏法(ぶっぽう)の究極(きゅうきょく)の真髄(しんずい)なんです。

だから、創価学会と釈尊は、深く密接(みっせつ)な関係があり、釈尊が望み、伝え、実現したかったものが、創価学会の中にある!!!
ということです。

釈尊が望んだもの、釈尊が望み実現したかったものが、まさしく、創価学会によって実現されている!!ということです。

だから、最初に

「『教主釈尊(きょうしゅしゃくそん)をうごかし奉(たてまつ)れば、ゆるがぬ草木(そうもく)やあるべき・さわがぬ水やあるべき・・』と仰(おお)せの通り、ご本尊(ほんぞん)への必死の祈りは、一切(いっさい)を動かしていく。」

と話したように、創価学会のご本尊への必死の祈りは、そのまま『釈尊』に通じていく。なぜなら、創価学会が実践している南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)は、釈尊の望み、願いそのものであり、『南無妙法蓮華経』が釈尊が伝えたかったことだからです。

ゆえに、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、釈尊のいう宇宙の法則、生命の法則、幸せの法則を実行することになり、それはいわば、釈尊自身をうごかすような大きな結果を生み、その結果、悩みを解決できたり、夢や希望をかなえていけたり、さまざまな困難(こんなん)も乗り越(こ)えて、幸せになっていけるわけです。

それが、創価学会の祈りなんです。

ゆえに、池田先生が言うように、
『教主釈尊を動かすことができれば、ゆるがぬ草木はない!さわがぬ水はない!』
そして、祈りをかなえ、幸せになっていける!!


それが、釈尊が本当に伝えたかった宇宙と生命の幸せの法則であり、究極の力(ちから)である、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!

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ひまわりの種321 [幸せ]

日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)が、言っています。

『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)え奉(たてまつ)るは自身の宮殿(きゅうでん)に入(い)るなり。』

この日蓮大聖人のご文について、池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『いかなる状況(じょうきょう)にあっても、題目(だいもく/南無妙法蓮華経のこと)を唱(とな)えれば、生命は「宮殿」に入っている。魂(たましい)は王者である。最後は必ず幸福になる。皆、立派(りっぱ)な勝利者の人生を綴(つづ)ってもらいたい。』

南無妙法蓮華経をとなえたならば、自分の生命は『宮殿(きゅうでん)』に入っている。

どういうことだろうか・・。

生命の宮殿・・・。

それは、どう考えても不幸なものではない。幸せなものだ。
宮殿とは、素晴らしいものであり、光り輝(かがや)く豪勢(ごうせい)なものだ。
すなわち、最高にきらびやかで、優雅(ゆうが)で威厳(いげん)があって素晴らしく、黄金(おうごん)のように輝く存在と言えるかもしれない。

まさにそれは、幸せそのものと言えるかもしれない。

南無妙法蓮華経をとなえるということは、その『宮殿』に入ること・・・!

それは、まさしく、勝利をあらせてしてるし、幸せを表(あらわ)している。

そして、自分の生命が宮殿に入ったならば、おのずから、幸せがもたらされていく。

悩みを解決でき、時とともに、自分の望む人生、自分が望んだ未来、希望がかなっていく。

そう言えるかもしれない。

けれど、もし、自分の生命が宮殿に入っていないとしたら、かりに今良かったとしても、暗澹(あんたん)とした未来が待ち受けていたり、苦しく、望まない人生になってしまうことも多々あると思う。

生命の宮殿・・!

その生命の宮殿を築(きず)くことができるのが、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


生命の宮殿に入るとは、自分の生命の根(ね)っこにあるものを、ダイヤモンドのように輝(かがや)かせることだと思う。

その、生命の根っこにあるものが、ダイヤモンドのように輝いたならば、おのずと、そこから、希望と勇気、幸せと勝利がもたらされていく。

だから、生命の根っこは、大切!!!

だから、生命の根っこを、より良く、より素晴らしく変えていくことができたならば、その人の人生は、希望に満(み)ち、幸せになっていく。

けれど、自分の生命の根っこが、腐(くさ)っていたり、元気がなかったら、実際、根本的(こんぽんてき)には悩みや問題は、解決していかないし、夢や希望も、かなえていくことは、できないでしょう。

そうなれば、結局(けっきょく)、夢や希望もなくなっていき、自分が望む人生を生きないまま、人生を終えることになる。

夢や希望、自分の望む人生を生きるためには、やはり、生命の根っこを輝かせなければならない。

根本のところ、生命の根っこ・・。

その生命の根っこが、ダイヤのごとく輝いていったとき、自分の人生も、環境も、未来も、輝き、幸せがもたらされていく。

その生命の根っこを、黄金(おうごん)ように、太陽のように、輝かせることが、『南無妙法蓮華経を、となえる!』ということであり、それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)の信仰であり、それが、『生命の宮殿に入る!!』というこだと、思う・・・。


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ひまわりの種320 [幸せ]

二十世紀の天才ヴァイオリニストであるユーディー・メニューイン氏は、いつもマッサージを頼(たの)む、知人の女性がいた。

ある時、メニューイン氏は、そのマッサージを頼む女性に言った。

「あなたのマッサージは素晴らしい。まるで指が話しかけているようだ。」

そして、マッサージの秘訣(ひけつ)を尋(たず)ねると、女性は答えた。

「私は仏教徒(ぶっきょうと)なんです。マッサージをする時は、心で南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)と唱(とな)えるんです。」

仏教徒というのは、創価学会員(そうかがっかいいん)のことで、イギリスの婦人部員だった。

「ナンミョウホウレンゲキョウ・・・・・素晴らしい音律(おんりつ)だ。」

以来(いらい)、メニューイン氏は南無妙法蓮華経を口ずさむようになり、池田SGI会長(創価学会インターナショナル会長)の著作(ちょさく)を読破(どくは)していった。

そして、思った。

池田SGI会長に会いたい!!

そして、数年後、メニューイン氏は、池田SGI会長と会見することになる。

会見の中で、メニューイン氏は、言っています。

『「南無妙法蓮華経」の「NAM」という音に、強い印象(いんしょう)を受けます。「M」とは命の源(みなもと)というか、「マザー (MOTHER)」の音、子どもが一番最初に覚(おぼ)える「マー(お母さん)、マー」という音に通じます。この「M」の音が重要な位置を占(し)めている。』

この言葉に対し、池田先生は、言っている。

『日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「南無妙法蓮華経」を「歓喜(かんき)の中の大歓喜」「歓(よろこ)びの曲」である、ともされました。妙法(みょうほう/南無妙法蓮華経のこと)の音律(おんりつ)は、太陽が昇(のぽ)るような躍動(やくどう)の音律です。「永遠の創造(そうぞう)」であり「永遠の出発」であり、「永遠の戦い」である宇宙の大生命力が、こもっているのです。』


メニューイン氏が、マッサージを頼(たの)む知人の女性に感じたように、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによってもたらされるエネルギーは、人に伝わる・・!

その『南無妙法蓮華経をとなえる』エネルギーは、真心(まごころ)となって伝わったり、感動となって伝わったり、また、具体的(ぐたいてき)に病気などを蘇生(そせい)されるエネルギーとなった伝わることもある。

ある創価学会員の看護士の方が、南無妙法蓮華経をとなえる祈りについて、
「手から、毛穴から、祈りは、すべて、通じていく!」
と言っていた。

『南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、通じる!』

単(たん)なる一時しのぎでも、でまかせでもなく、自分ひとりの問題でもなく、南無妙法蓮華経をとなえる祈りは、人々に通じていく!!

ここに『南無妙法蓮華経をとなえる』スゴサがあるのかもしれない。

また、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことによって、もたらされるエネルギーは、人に伝わるだけではなく、人に幸せをもたらしていく。南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、幸せのエネルギーとなって、人へ、未来へ、世界へと伝わっていく。そしてその幸せのエネルギーは、地域や社会、職場や家庭に伝わり、その環境(かんきょう)をより良く、幸せに変えてくことなる。

また、当然(とうぜん)、南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、自分自身に伝わっていく。南無妙法蓮華経の幸せのエネルギーは、自分自身に伝わり、しみ入り、自分自身を幸せに変えていく。
そしてその幸せのエネルギーは、自分の悩みを解決したり、夢や希望をかなえる力となっていく。

あらゆるものを、あらゆる人を、あらゆる環境を、より良く、幸せにしていくエネルギーが、『南無妙法蓮華経』だということです。

ゆえに、これほどスゴイことはなく、これほどの解決策(かいけつさく)もない。

結論(けつろん)から言うと、南無妙法蓮華経をとなえきった人が、幸せになるとも言えます。


メニューイン氏が思ったように、南無妙法蓮華経をとなえるエネルギーは、人に伝わる。伝わるだけではなく、その人たちを幸せにしていく。また、家族や職場、地域や世界に伝わり、その世界に幸せを満(み)たしていく。

その無限(むげん)に伝わる究極(きゅうきょく)の幸せのエネルギーが『南無妙法蓮華経』であり、その幸せを確実にもたらすのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。


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ひまわりの種319 [幸せ]

創価学会(そうかがっかい)の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰は、結論(けつろん)から言うと、あらゆるものを、あらゆる事象(じしょう)を、あらゆる人々を、幸せへと引(ひ)っぱり導(みちび)いてくれる。

それは、自分だけではなく、家族や自分のかかわる人々にまで影響(えいきょう)を及(およ)ぼし、その人たちに最善(さいぜん)の幸せを、もたらしてくれる。

時には、悲しいこと、辛(つら)いこともあるかもしれない。けれど、時とともに、自分が、家族が、最善の方向に進み、最良(さいりょう)の幸せをもたらしていたことが、わかってくる。


それが、実感(じっかん)として言える。


これほどの力(ちから)があるだろうか・・・?


現実に、これほどの幸せをもたらす力は、あるだろうか?


はっきり言って、他にはない・・!!


この、創価学会の、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)でしか、この現実の中で、確実に、幸せと歓喜(かんき)をもたらす方法は、ない!!!

それは、あらゆるものが積(つ)み重なり、関係し合い、ひとつひとつの事象(じしょう)からはわからないかもしれないけれど、それが重(かさ)なり合い、信じがたい錬金術(れんきんじゅつ)のように、すべてが、微妙(びみょう)に、しかも完璧(かんぺき)に結(むす)びつき、結果として、最高の幸せをもたらしている。

そういう目には見えない奇跡(きせき)をもたらしていく力が、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰にはある!ということです。

そして、その幸せの奇跡が、どれだけ多くの人を、幸せにしてきたか!!どれだけ多くの人の悩みを解決(かいけつ)し、夢や希望をかなえてきたか!!。それこそ計り知れない。


その積み重ねが創価学会であり、世界192カ国に広がる創価学会の、平和と幸福のスクラムだと、思う・・・。


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ひまわりの種318 [希望]

オーストリア政府の元文部次官であり、声楽家(ソプラノ歌手)である、サイフェルト博士が、言っています。

『創価学会(そうかがっかい)の皆さまとの出会いは、常(つね)にとても心温(あたた)まる、真心のこもった深い触(ふ)れ合いでした。本当に私の人生が変わったので、非常にありがたいと思っています。

もっとSGI(創価学会インターナショナル)が発展(はってん)すること。
--- これが私の願いです。

なぜなら、今ほど人々が確かな哲学(てつがく)を求めている時代はないからです。』

この言葉に対して、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『私たちの信奉(しんぼう)する日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)は、「人のために火をともせば・我(わ)がまへあき(明)らかなるがごとし」と言われております。
こうした共生(きょうせい)の哲学(てつがく)が、ますます大事になってきています。「自分さえよければいい」という利己主義(りこしゅぎ)がはびこれば、地球は痩(や)せ細るばかりです。

自分が幸せになろうと思えば、まず自(みずか)らの地域を安穏(あんのん)にしなければならない ----この「自他不二(じたふに)」の心が未来を豊(ゆた)かにします。

何より、私たちSGI(創価学会インターナショナル)は、平和と友情と幸福の縮図(しゅくず)であると確信しています。だからこそ、この創価のスクラムをさらに広げられるよう、努力していきたいと思っております。』


サイフェルト博士が、言っています。

『今ほど人々が確かな哲学(てつがく)を求めている時代はない。』

確かな哲学とは、なんだろうか?

それは、現実を打開(だかい)できる哲学だと思う。

混沌(こんとん)とした時代の中で、現実に自分の人生を切り開いていけるのか・・!
現実に自分の悩みを解決していけるのか・・!
現実に、自分の夢や希望をかなえていける力(ちから)となるのか・・!
そして、現実に、揺(ゆ)れ動く時代の中で、確固(かっこ)とした、崩(くず)れない幸せを築(きず)いていけるのか・・!

ここに、問題があり、注目が集まる。

そして、混沌(こんとん)とした時代の中でも、現実に人生を切り開き、現実に幸せを勝ち取っていける哲学(てつがく)が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

だから、サイフェルト博士は、もっと創価学会が発展することを、願っているんです。

また、世界中の善意(ぜんい)の有識者たちが、創価学会に大きな期待(きたい)を抱(いだ)いているのも、そのためです。


だれでも、悩みがある。それは、ひとりひとり違(ちが)う。状況(じょうきょう)も違えば環境(かんきょう)も違う。ひとりひとりの個性も境遇(きょうぐう)も違う。けれど、どんなに、ひとりひとりの悩みが違っていても、そのひとつひとつに、ことごとく対応(たいおう)して、悩みを解決 してける!それが、創価学会の南無妙法蓮華経の仏法(ぶっぽう)です。

また、だれでも、夢や希望がある。ひとりひとりが違う願い、希望をもっている。そして、そのひとりひとりの夢や希望に対応して、現実に人生を切り開き、夢や希望をかなえていける哲学(てつがく)であり力が、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法だということです。


真実の哲学とは、人生と離(はな)れたところにあるものではない!よくある、空理空論(くうりくうろん)ではない。
せっぱ詰(つま)った、現実の悩みや希望、その悩みや希望に、直接的に対応し、自分の目の前の人生を切り開いていけるもの・・・!

それが、創価学会の仏法の哲学であり、仏法の信仰です。

だから、今ほど、この創価学会が実践する、『仏法(ぶっぽう)』を求めている時代はない。ただ、それを、わからないだけなんです。

すべての人が求めている幸せ、希望・・!

その希望と幸せの本質(ほんしつ)に、直接的に結(むす)びつくもの・・・!

それを、人々は、欲(ほ)しくて欲しくて、しょうがない。

そして、その希望と幸せの本質に直結(ちょっけつ)し、現実に悩みを解決し、現実に夢や希望をかなえていける哲学(てつがく)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だと、いうことです・・・!


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ひまわりの種317 [日常]

「裸の王様」の物語は、皆さん、知っていると思います。

裸(はだか)の王様は、アンデルセン童話です。

ある、おしゃれ好きな王様に、詐欺師(さぎし)の仕立(した)て屋が「バカには見えない布地」で服を作ります。自分が馬鹿者(ばかもの)だと思われたくない家来(けらい)や王様たちは、あるはずもない服を称賛(しょうさん)します。王様は、その服を着てパレードに出かけますが、やはり、バカだとは思われたくないので、誰一人『見えない』とは言えません。そんな中、子どもが『王様は裸だ!』と真実を言います。これで我(われ)に返った観衆も一転(いってん)して、『そうだ、王様は裸だ。』と言い出します。そして、ついに一人残らず、王様は裸だとさけぶようになります。

王さまは大弱(おおよわ)り。王さまだってみんなの言うことが正しいと思ったからです。でも、「いまさら行進パレードをやめるわけにはいかない。」と思ったので、そのまま、今まで以上にもったいぶってパレードを続けたという話しです。


これは、人間がよく陥(おちい)りやすい感情の風刺(ふうし)だと思いますが、探(さが)せは、似(に)たようなことが世の中には、あると思います。

たとえば、日本にはびこっている、さまざまな宗教・・。

それは、葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などですが、それらは、だれも本当に力や効力(こうりょく)、ご利益(ごりやく)があるとは思っていないけれど、かといって、だれも言わない。表面上は、いかにも、ご利益や効力があるように、もてはやす。あそこは、何々にご利益(りやく)がある。あそこはなんとかにご利益があるとかいっても、現実には、確証的(かくしょうてき)なものは、なにひとつない・・!

だれも「王様は裸だ!」と言わないように、ただ、なんとなく、あがめたて、もてそやす。そして、「きっといい事があるに違(ちが)いない」とか言って、 祈ったところで、そんなことは、まず、起らない・・。

宗教の虚構(きょこう)が通常(つうじょう)となり、それこそ、王様が裸で町をねり歩くような行為(こうい)が、まかり通ってしまう。

それが、世間一般的な宗教だと思う。

ところが、子供が、『王様は裸だ!』と言ったように、唯一(ゆいいつ)、真実を言ったのが、創価学会(そうかがっかい)です。

「それらの宗教は、間違(まちが)っている。そんな宗教に祈ったところで、幸せになどならない。返(かえ)って、でたらめな宗教に祈るということは、自分の生命と人生に害(がい)をもたらし、不幸になる原因(げんいん)になってしまう!」

そう、はっきりと明言(めいげん)したのが、創価学会の人たちだと言えます。

事実、その通りです。

それらの葬式仏教や神社信仰、観光宗教などは、明(あき)らかに間違っているがゆえに、その間違った宗教に祈るということは、自分の生命と人生を、その間違ったデタラメの宗教に、ささげることになる。間違ったデタラメの宗教に自分の生命と人生をささげていけば、当然、自分の生命と人生は、間違ったデタラメなものになっていく。自分の生命と人生が、間違ったデタラメなものになっていったならば、その結果として、さまざまな不幸が、もたらされてしまう。だから、真剣に祈れば祈るほど、逆(ぎゃく)に、不幸になる原因がつくられていき、その人の人生に、大きな害をもたらしてしまう。

それが、真実だと言えます。

不幸の根源(こんげん)には、間違った宗教がある!ということです。

そして、間違いのない、人々に幸せをもたらしていける、真実の宗教が、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

それが正しい証拠(しょうこ)として、創価学会は、どんどん発展し、世界192カ国に広がっている。そして、その創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法(ぶっぽう)を実践した、世界中の人たちを現実に幸せにしている。

それは、ひとりひとりの悩みを解決した結果であり、ひとりひとりの夢や希望を実現(じつげん)していけた結果であり、ひとりひとりが現実に『幸せになった!』という結果として、創価学会は世界中に広まっている。


あたかも、それは、童話(どうわ)・裸の王様で、子供が『王様は裸だ!』と叫(さけ)んだあと、みんなが、『そうだ、王様は裸だ』と言い、最後は、すべての人が『王様は裸だ』と言ったように、ひとりの勇気の声が、まわりに広がり、世界に広がり、その真実の証明(しょうめい)として、これからも、創価学会は、広がり続けていくことでしょう・・・!


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ひまわりの種316 [世界]

聖教(せいきょう)新聞に、ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁(そうさい)の話しが、のっていました。

その一部分を抜粋(ばっすい)したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

「言論(げんろん)の獅子(しし)」がそこにいた。
顔に刻(きざ)まれた深いしわ。白く伸びた髪(かみ)。何より、小さい体から発散(はっさん)される威厳(いげん)は、地走る者の王・ライオンを 思わせた。

1993年の2月9日。時間は午後9時。ブラジル文学アカデミーのアタイデ総裁は、貴賓室(きひんしつ)で、2時間も前から待っている。

リオデジャネイロのガレオン国際空港。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長が、27年ぶりに、このブラジルの古都(こと)に降(お)り立とうとしていた。

総裁(そうさい)は94歳。頭脳(ずのう)は明晰(めいせき)だが、さすがに足腰(あしこし)は衰(おとろ)え、ふだんは歩くのに、2人に両脇(りょうわき)を抱(かか)えてもらうことも、たびたびであった。ソファに座(すわ)る総裁に、体調を心配(しんぱい)した周囲(しゅうい)は、別室で休んではどうかと進めた。

だが、総裁は言った。

「私は、94年間も池田会長を待っていたのです。1時間や2時間は何ともありません。」

SGI会長を乗せた旅客機(りょかっき)が着いた。総裁はソファから身を起(お)こし、ドアのほうへ、一人で足を運(はこ)んだ。

扉(とびら)が開いた。池田SGI会長が両手を大きく広げて歩(あゆ)み寄(よ)り、総裁の両腕(うで)を下から支(ささ)えた。

「『世界の宝(たから)の人』です。私が総裁のことを、世界に永遠(えいえん)に残します!」

総裁は応(こた)えた。

「会いたい人にやっと会えました。池田会長は、この世紀(せいき)を決定づけた人です。戦いましょう。2人で力を合わせ、人類の歴史を変えましょう!」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ぼくが思うに、映画ドラマ、小説の世界ではなく、現実の生身(なまみ)の人間が、こういう会話をかわしていること自体(じたい)、スゴイことだと思いました。


アタイデ総裁は、1930、40年代、独裁(どくさい)を真っ向(まっこう)から批判(ひはん)し、3度の投獄(とうごく)、3年間の国外追放(ついほう)に耐(た)えた人物である。70年間以上、ペンを振(ふ)るい、発表したコラムは5万本。テレビに20年、ラジオには30年にわたって毎週出演し、人権擁護(じんけんようご)の『声の弾丸(だんがん)』を放(はな)ち続けた。

その名前は『強靭(きょうじん)なリベラリスト(自由主義者)』として、ブラジルにおいては伝統的な響(ひび)きを持っているそうです。

そのアタイデ総裁が1959年から30年以上にわたって率(ひき)いてきたのが、南米最高の知性の殿堂(でんどう)、ブラジル文学アカデミーです。

在外会員は、トルストイ、エミール・ゾラ、アンドレ・マルローらの名が連なる。

そして、アタイデ総裁が34年間で初めて推薦(すいせん)したのが、池田SGI(創価学会インタナショナル)会長です。

アタイデ総裁は、言っている。

「私には池田会長の偉大(いだい)さがわかる。」

「民衆のために戦い、苦しみ抜(ぬ)いた者にしか、彼と、彼を支(ささ)える香峯子婦人(池田会長婦人)の心は分からない。」

「迫害(はくがい)を受けた者だけが、池田会長の価値(かち)を知るのだ。」

さらに、アタイデ総裁は言う。

「一人の指導者が道を開けば、皆がその後を従(したが)うものです。」
「未来はひとりでに、やってくるものではありません。人間自身が切り開くものです。その人間の一人が、池田大作氏です。」

アタイデ総裁と池田SGI総裁の2人は、対談集の発刊(はっかん)を目指して、口述筆記(こうじゅつひっき)などを通して、対話を続けることで合意(ごうい)した。

だが、総裁の体調(たいちょう)は思わしくなかった。
総裁の秘書は、率直(そっちょく)に「口述筆記も、タイプライターで原稿(げんこう)を打つことも無理(むり)でしょう。最近は笑(え)みを見せることもないのです」と話した。

93年6月、SGIのスタッフから、「回復するまで、いつまでかかってもお待ちします」との池田SGI会長の伝言が、総裁に伝えられた。

じっと聞いていた総裁が、ほほ笑(え)んだ。

「ありがとうございます。私にはもう時間がありません。すぐに始めましょう。
しゃべって、しゃべって、しゃべり抜きます。人類の未来のため、21世紀のために語り継(つ)ぎましょう!」

口述はそれから、毎週土曜日、リオの総裁の自宅で行われた。SGI会長の書簡(しょかん)での質問に、総裁は毎回2時間、思索(しさく)を重ねながら、身じろぎもせず語り続けた。

SGI会長からは毎回、花束(はなたば)が届けられ、総裁はいつもそれを、応接間(おうせつま)の純銀(じゅんぎん)の花瓶(かびん)に飾(かざ)って、眺めるのだった。

最後の「対談」は8月21日。テーマは「人権の闘士・マンデラに学ぶ」であった。

その6日後に、総裁は入院した。

「私には、やらなければならない大事な仕事がある。早くここを出してください。私は、池田会長との対談を続けなければならないのだ。」

医師や看護士にそう何度も訴(うった)えた。

総裁が逝去(せいきょ)したのは93年9月13日。SGI会長は悲報(ひほう)を聞き、すぐさま弔電(ちょうでん)を送った。

10月には文学アカデミーの強い要請(ようせい)により、2人の出会いを描いた油彩画(ゆさいが)「アタイデ総裁」が同アカデミーに贈られている。

さらに息女(そくじょ)のラウラさんと夫のシィッセロ・サンドローニさん、子息(しそく)のロベルト・アタイデさんを、池田SGI会長は翌年8月、長野研修道場で歓迎(かんげい)した。

「父が毎日、使っていたペンです。父の名前が刻(きざ)まれています。」

席上、ラウルさんから、総裁の「武器」であった金色のボールペンが、池田SGI会長に渡された。友情は、家族と、アカデミーの後継者(こうけいしゃ)たちに受け継(つ)がれたのである。

対談集「21世紀の人権を語る」は95年に日本語版、2000年にポルトガル語版が発刊(はっかん)。

未来を見通(みとお)した総裁の『遺言(ゆいごん』で、語らいは結(むす)ばれた。

『池田会長の存在(そんざい)は、人類の歴史に残り、その運動は時代とともに広がりゆくことでしょう。

そして21世紀は、新たなヒューマニズムが実現された時代として、人類の歴史に深く刻(きざ)まれることになるでしょう。』


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ひまわりの種315 [悩み]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『人は花に学ばなければ・・・。

花はいつも一生懸命(いっしょうけんめい)だからだ。投げやりに咲いている花はない。いやいや生きている花はない。途中(とちゅう)で、へこたれる花はない。笑うことを忘れた花はない。過去にとらわれたり、人のあらを探(さが)したりしている花はない。』


花は、だから、きれいなのかもしれない。
なにものでもない、自分自身を咲かせることに、なんの躊躇(ちゅうちょ)もなく全力で立ち向かっていく。

その健気(けなげ)な姿に人は、打たれるのかもしれない。

創価学会(そうかがっかい)二代会長の戸田城聖先生が、仏法(ぶっぽう)の真髄(しんずい)は、『自分自身に生ききることだ!』と言っていた。

あの人がこう、この人がどうではない。自分が自分自身に生ききるかどうか・・・。

簡単なことのようで、これがなかなかできないのも、現実だと思う。

そして、ああだ、こうだ文句(もんく)を言う。愚痴(ぐち)を言う。そして、世の中を恨(うら)んでしまう・・。

何かかが間違(まちが)っているんだと思う。幸せというものの本質(ほんしつ)が見えなくなっているのかもしれない・・。

何かが狂(くる)っている。人間の生命になにかの間違った思想や考えがこびりつき、花のように、健気(けなげ)に生きられなくしている。

仏法(ぶっぽう)では、これを『宿業(しゅくごう)』という。

『宿業(しゅくごう)』とは、自分の生命に、深く宿(やど)ってしまっている、その人を苦しめている根本原因(こんぽんげんいん)のようなもので、避(さ)けたくても避けることのできない苦しみや悲しみ、自分はどうして、こういう自分に生まれてしまったのか?というような、辛(つら)い境遇(きょうぐう)や環境、なんで自分がと思うような過酷(かこく)な病気や事故など、その人がもって生まれた、どうしようもないような運命などをいいます。

その『宿業(しゅくごう)』が、人を苦しめ、狂わせ、花のように真っ直(まっす)ぐに生きることを、妨(さまた)げている。
そして、その人を不幸にしている。

不幸の根源(こんげん)には、『宿業(しゅくごう)』がある!と言えるかもしれない。

そして、その『宿業』がどこから起ってくるかと言えば、それは、間違った思想(しそう)、間違った宗教から起ってくる。

人は、自分の悩みや不幸について、その原因(げんいん)にたどり着くことはないけれど、人間の不幸は、間違った宗教によって、起こる!!と言えます。

自分は、宗教なんかには、かかわっていないと、言うかもしれない。

けれど、自分の先祖(せんぞ)をたどっていけば、なにかしらの宗教をやっているし、世の中は、間違ったデタラメの宗教だらけなので、日々、その間違った宗教に触(ふ)れていると、言えます。

正月といえば、初詣(はつもうで)だといって、さまざまな神社やお寺に行くし、観光でもさまざまな神社、仏閣(ぶっかく)に祈りをささげる。また、葬式(そうしき)となれば、ほとんど、それらの葬式仏教などに祈りをささげる。

そして、それらの葬式仏教にしても、神社信仰にしても、観光宗教にしても、デタラメな間違った、人を不幸にしてしまう宗教です。それらに、良いことだと思って、祈りをささげる。

それらの、間違ったもの、デタラメなものに祈りをささげるということは、自分の生命に、間違ったもの、デタラメなものを投影(とうえい)することになり、間違ったもの、デタラメなものが、自分の生命に植(う)え付けられることになっていく。その植え付けられた間違った宗教、デタラメな宗教は、自分の生命に、さまざまな不幸なる宿業(しゅくごう)として植え付けられ、その宿業が、時ととともに噴出(ふんしゅつ)して、その人を苦しめることになる。

また、過去世(かこせ/過去に生きていた時代)に、間違った、人を不幸にする宗教にかかわってしまったために、さまざまな不幸なる宿命(しゅくめい)を持って、生まれてきたとも言えます。


人間は、花のように、生きるべきだと、思います。

けれど、それをできなくしているのが、『宿業』だと言えます。

そして、その宿業を打ち破(やぶ)る、決定的で唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践(じっせん)している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえることは、自分の中から、花のように生きる力を復活(ふっかつ)させる。

花のように生きようとする生命力が復活し、その人を、真っ直(まっす)ぐに生きさせる。

太陽が昇(のぼ)れば、草木についた、つゆや水滴(すいてき)は、あっという間に消えてしまうように、南無妙法蓮華経をとなえることによって、花のように真っ直ぐに生きることを妨(さまた)げる宿業が、打ち破られ、幸せに向かって、希望にむかって、生きていけるようになっていく。

南無妙法蓮華経には、宿業を打ち破る大きな大きな力(ちから)がある!ということです。

南無妙法蓮華経を真剣にとなえ、仏法(ぶっぽう)の実践活動である創価学会の活動をやっていくことによって、自身の宿命が転換(てんかん)され、悩みや困難(こんなん)を乗り越(こ)え、夢や希望をかなえて、幸せを勝ち取っていくことが、できるようになっていく。

それは、美しい花のように・・・。

『南無妙法蓮華経は蘇生(そせい)の義(ぎ)なり』というけれど、南無妙法蓮華経をとなえると、自分の生命が蘇生(そせい)していく。

真剣に南無妙法蓮華経をとなえることによって、自分の中から生命力が湧(わ)き上がり、勇気が出てきて、元気と希望がでできて、その人の生命は、文字通り、蘇生(そせい)していく。

その生命の力は、自分の人生と未来を、花のように、真っ直ぐに生きていくエネルギーとなって、その人を動かす。

やがて、種(たね)から花が咲くように、その人の人生に、勝利と幸せの花が咲いていく。


人は、花のように、生きるべきだ・・!

そして、それを可能にする、希望と勇気とどんな困難(こんなん)も打ち破る無限(むげん)の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです。


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