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ひまわりの種341 [悩み]

「シュタインズ・ゲート」というアニメがあります。

この「シュタインズ・ゲート」という物語は、映画やドラマ、アニメなどではよくある、「タイムマシン」を題材にした話しですが、携帯電話を使って、過去にメールを送るというのが、斬新(ざんしん)かもしれない。

主人公の岡部は、ひょんなことから、過去にメールが送れる装置(そうち)を発明する。
しかし、過去にメールを送るたびに、過去が変わり、そのことによって現在も大きく変わる。その繰(く)り返しの中、最終的には、取り返しのつかない大変なことになってしまうという、物語です。

たった一通のメールであったとしても、過去にメールが送れるとしたら、ひとりの人生、あるいは世界を大きく変えることになってしまう。場合によっては、人の生死を変えることすら可能となってしまう。その繰(く)り返しの中、世界が大きく変わり、大きな事件をもたらす結果となってしまう。

このアニメの中では、このように説明している。

ひとつの人生、あるいはひとつの運命、ひとつの人生軸(じんせいじく)のもとに形成(けいせい)された世界を、ひとつの『世界線(せかいせん)』ととらえる。

人間の人生、世界の成り行きを、ひとつの『世界線』のうえに成り立っていると考えるわけです。

ところが、タイムマシンを使い、過去に行って、Aという人を殺したとする。

そうすると、その世界は、今まで、Aという人間が存在する「世界線」であったものが、Aという人間が存在しない、別の世界線へと移動する。「世界線」が変わるわけです。そうすると世界の歴史や、さまざまな人間の人生までも変わってしまう。そう、とらえています。

そして、そのことを『世界線が変わる』と表現しています。

主人公の岡部が、過去にメールを送ることによって、その「世界線」が変わり、その繰り返しの中、とんでもない事件に巻(ま)き込まれるということです。

やがて岡部は、仲間とともに、メールではなく、人間の記憶(きおく)を過去に送る装置(そうち)を開発する。肉体は無理でも記憶を過去に送ることができれば、ほとんどタイムマシンと同じようなことができるということです。

そのことを、このアニメでは、「タイムリープ(時間を跳躍[ちょうやく]すること)」と表現しています。

そして、その装置をめぐり、岡部の幼(おさな)なじみである、マユリが殺されてしまう。

岡部は、マユリを助けるために、タイムリープ・マシンを使い、過去へと戻(もど)り、マユリを救(すく)おうとする。

マユリを逃がし、別の場所へと逃避(とうひ)する。しかし、なぜだか、同じ時刻になると、マユリは殺されてしまった。

そして、岡部は、そのたびにタイムリープを繰り返し、過去に戻るが、どんな手をつかっても、どんな場所に逃げても、暗殺者に殺されなかったとしても、暗殺者が現れなくても、マユリは同じ時刻になると、必ず死んでしまった。


まるで、運命に殺されるかのように・・・。


このアニメの中では、このように説明しています。

一本のロープを天井に吊(つ)るしたとする。一本のロープは、一見(いっけん)、一本に見えるけれども、実際は、細い糸が何本も何本も重(かさ)なって、一本のロープを形成(けいせい)している。

その一本一本の細い糸が、「世界線」だというのです。

一本一本の細い糸は、それぞれが独立(どくりつ)した糸ではあるけれど、それがまとまったロープの到達点(とうたつてん)は、必ず、天井に吊るした到達点である『一点』にたどり着く。一本一本の細い糸が、それぞれ違うように、かりに「世界線」が違ったとしても、最終的には、同じロープの到達点、「一点」にたどり着いてしまう。

すなわち、最終的な結果を変えることは、できない!ということです。

ゆえに、岡部が過去に戻り、どんなにマユリを助け、行動を変えても、最終的な到達点である「マユルの死」を変えることができない・・・!


このような、どうしても避(さ)けることのできない宿命(しゅくめい)のようなものを、創価学会が実践する「仏法(ぶっぽう)」では、「宿業(しゅくごう)」といいますが、小手先(こてさき)で、どんなに手を尽(つ)くしても、どんなにお金を使っても、ありとあらゆる方法を駆使(くし)したとしても、変えられないのが、悪(あ)しき運命といえる「宿業(しゅくごう)」です。

では、宿命とも宿業ともいえる、「マユリの死」を、どうやって回避(かいひ)し、変えていくのか・・・?

このアニメでは、こう説明している。

たとえ過去に戻り、世界線を変えたとしても、その世界線が、一本のロープのような一点の結果に向かう世界線であるならば、結果を変えることはできない・・!

宿命とも運命ともいえる、その変えられない結果を変えるためには、一本のロープに束(たば)ねられた世界線ではなく、別の違うロープに束ねられた世界線に移動するような大きな変化をもたらさなければならない。すなわち、別の、もう一本のロープに飛び移るような、大きな、劇的(げきてき)な変化が必要となる。

その大きな劇的な変革(へんかく)を成し遂(と)げないかぎり、「マユリの死」とう結果を変えることは、できないと・・。

そして、その劇的な変化を起こすために、この物語は展開(てんかい)されていくわけです。


かりに、世界線という運命の糸を、少し変えることができたとしても、その到達点である結果を変えることは、できない・・・。


先ほど言ったように、 このようなどうしても変えられない悪(あ)しき宿命を、宿業(しゅくごう)と言いますが、この「宿業」を打ち破(やぶ)り、変えないかぎりは、未来は開けない。人は、この宿業があるから、苦しみ、敗れ、不幸に沈(しず)んでいく・・と言えます。

そして、その宿命を変えるためには、世界線の集まった一本のロープから、別の世界線のロープに飛び移るような、劇的な変革が必要となる・・・!

実はその、世界線の集まった、宿業という結果を変えられない一本のロープから、宿業を打ち破り宿命を変えることのできる別の世界線のロープに飛び移るようなことを可能にする、唯一(ゆいいつ)の方法といえるのが、創価学会(そうかがっかい)が実践する、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰であり、その仏法の実践活動である創価学会の活動なんです。

南無妙法蓮華経とは、南無妙法蓮華経という法則(ほうそく)であり力とは、この宿業を打ち破り変えることのできる力(ちから)であり、法則だと、 言えます。

創価学会の人たちは、その『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)の仏法』を実践しているから、幸せになっていけるんです。

どうしても変えられなかった宿業を打ち破り、宿命を転換(てんかん)して、幸せをつかんでいけるんです。

そして、そういう偉業(いぎょう)を創価学会のひとりひとりが、ことごとく!やってきたのが、創価学会の歴史です。

だから、創価学会は発展しているのであり、世界192カ国に広がっているんです。

別に、タイムマシンがなくても、世界を、平和に、幸福に、変え、ひとりひとりの悩みを解決し、夢や希望をかなえさせ、最高の幸せをつかませてきたのが、創価学会です・・・。

あえて例(たと)えるならば、このアニメでいう、世界線の集まった一本のロープから、別の世界線のロープに飛び移るような変化を、現実の世界で実現してきたのが、創価学会だと言うこともできます。

また、それを可能にするのが、創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。



このアニメでは、過去を変えることによって、未来を変えていった。

けれど、未来を変えるのだったら、別に、過去を変える必要はない・・。

すなわち、「今」を変えればいいわけです。

そして、その「今」を劇的に変えていく、究極(きゅうきょく)にして最大の力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。


創価学会が実践している、その「仏法(ぶっぽう)」では、『一念三千(いちねんさんぜん)』という法則を、説いています。
『一念三千』とは、心の違(ちが)いによって、違う三千の世界ができあがる!という生命の法則です。

どういうことかというと、もし、本当に「こころ」を変えることができたとしたら、その人の世界は変わっていく!ということです。

そしてその「こころ」を本源的(ほんげんてき)に、本当に変えていける唯一(ゆいいつ)の力と言えるのが、創価学会の人たちがとなえている『南無妙法蓮華経』です。

その南無妙法蓮華経をとなえているから、創価学会の人たちは、心を変え、そのことによって自分の世界を変え、不幸から幸せへ、絶望から希望へと、人生と未来を変えていけるわけです。


このアニメの物語は、架空(かくう)の物語であり、ありえない話しです。

けれど、仏法で説く「一念三千」の法則の、説明に利用することは、可能です。

創価学会の人たちが、ご本尊(ほんぞん)に、南無妙法蓮華経をとえなえていく時、南無妙法蓮華経とは、生命を、心を、本源(ほんげん)から劇的に変革していく力なので、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、その人の「こころ」が、パッと変わる。

簡単に言えば、不幸だった心が、幸せに変わるわけです。

一念三千の法則から言えば、こころが変わるということは、その人の世界が変わる!ということです。

シュタインズ・ゲートというアニメで言えば、「世界線」が変わる!わけです。

心が変わることによって、いままで不幸なる世界線にいたものが、別の、幸せをもたらす世界線に変わる!わけです。

かりに、その変化が最初は目だたない、ごくわずかの違いだったとします。けれどそれでも、最初にいた不幸なる世界線には、その人はもう、いない!と考えられます。

こころが変わったことによって、その人の世界が変わり、世界線が変わったと考えるわけです。

そして、その世界線が変わった世界で、また創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる信仰をやっていくことによって、また「こころ」が変わり、世界が変わっていく。その時点でまた世界線を移動し、「世界線」が変わるわけです。

そして、その世界線が変わった世界で、また南無妙法蓮華経をとなえていった時、また「こころ」が変わり、世界が変わっていく。そしてまた世界線が変わっていく。

幸せの方向へ、幸せの方向へ、どんどん世界線を移動していくと、考えることができます。

そして、その人のいる世界線は、どんどん分岐(ぶんき)していき、最初にいた「不幸なる世界線」とは、遥(はる)かにかけはなれた「大いなる幸せの世界線」に移動している!!と、とらえることができます。

だから、幸せになっていける。
勝利していける。
最初の不幸なる自分とは、かけ離れた、素晴らしい幸せをつかんでいけるわけです。

そして、そういう変化を現実の上で可能にするのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

そして、最も重要なことは、この、創価学会が実践している、『南無妙法蓮華経をとなえる仏法』の信仰は、宿命を変え宿業(しゅくごう)を打ち破ることのできる、唯一(ゆいいつ)の方法だということです。

ゆえに、どうしても変えることのできない宿命、宿業(しゅくごう)が立ちふさがったとしても、シュタインズ・ゲートの中で言う、一本の、宿命を変えられない世界線のロープから、運命を変え宿業(しゅくごう)を打ち破ることのできる、別の世界線のロープに飛び移るような劇的な変革を、もたらすことができる。

そして、宿業(しゅくごう)を打ち破り、新(あら)たな、最高の幸せと勝利を、つかんでいける!!


創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰が、『宿命転換(しゅくめいてんかん)』『人間革命』を、可能にするわけです。


それはあたかも・・、アニメ・シュタインズ・ゲートの中で、主人公たちが、マユリを死から救うために、世界線を大きく変える、劇的な変革を、もたらしていったように・・・。

タグ:悩み 宿命 運命
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ひまわりの種340 [悩み]

インドの大思想家である、ヴィヴェカーナンダという人が言っているそうです。

「すべての教育、すべての訓練(くんれん)の理想は人作りであるべきである。
が、その代わりに、われわれは常(つね)に外側に磨(みが)きをかけようと努(つと)めている。
なんの内側もないとき外側に磨きをかけてなんの役(やく)に立つのか?
すべての訓練の目的ないし目標は人間を成長させることである。」


確かに、そうだと思います。

特に、現代という時代は、外側に磨(みが)きをかけることに、世の中の注目も、人々の注目も集まっていると思う。

けれど、外側をどんなに美しく飾(かざ)っても、内側がガランドウならば、何が残るだろうか・・・・・。

外側の世界で、どんなにきらびやかに、美しく、幸せに装(よそお)っても、いざ、自分に立ち戻(もど)った時、何もない・・・。それを感じた瞬間(しゅんかん)、どれだけの虚(むな)しさ、空虚感(くうきょかん)を味わうだろうか・・・。

それは、たとえば、日々、世の中のきらびやかな世界で、楽しく豪勢(ごうせい)に遊んでいるとしても、いざ、自分の部屋に戻ってきたら、そこには何もない。ただ、がらんどうの部屋があるだけ・・。そんな生活に似ているのかもしれない。

物質が氾濫(はんらん)しているだけに、現代の人々には、そういう傾向性(けいこうせい)が強いのかもしれない・・。

けれど、やはり、本当の幸せは、違(ちが)うと思う。

本当の幸せは、内側(うちがわ)にある!

この内側いかんによって、本当の幸せは決まる・・。

そう言えると思います。


実は、その人間の内側を、最高に、最大限に幸せにしていく方法が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰だと言えます。

もちろん、創価学会の仏法(ぶっぽう)の信仰が、内側だけで、外側のことはまったく考えていないということでは、ありません。

内側が輝(かがや)くがゆえに、それに比例(ひれい)するように、外側も輝いていくということです。

そういう本物の力(ちから)が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法だということです。



人生に直面(ちょくめん)する、さまざまな悩みや問題、試練(しれん)、苦しみ、

それらは、一見(いっけん)、表面上の悩みや問題に見える。

けれど、それらの本質は、やはり、内側にあると思う。

自分の内部に、悩みや問題、苦しみの原因(げんいん)がある・・・!

ゆえに、その内面の問題を解決していかないかぎり、悩みや問題も解決していかない・・。

実は、ここに深く、大きな問題があると思う。

悩みや問題の根源(こんげん)には、内面の問題がある・・。
かりに、それをわかったとして、では、その内面をどうやって変えていったらいいというのだろうか?
また、本当に内面を根源的に変えていくことが、できるだろうか・・?


いろいろなアドバイスを聞いたりして、その場かぎりの、さまざまな方法を試(ため)してみたとしても、本当に内面を変えていくことができるだろうか・・?

結論からいうと、それはほとんどの場合「できない!」と言ってもいいと思います。

だから、多くの人々は、不幸や宿命(しゅくめい)に流され、苦しみ、その不幸と宿命を背負(せお)ったまま、生き、そして死んでいくのではないだろうか・・・。


その不幸の流転(るてん)を打ち破る、決定的な秘剣(ひけん)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。


そう言えると思います。



南無妙法蓮華経とは、人間の生命を、内面から根源的に変えていける究極(きゅうきょく)の力だと言えます。

だから南無妙法蓮華経をとなえていった時、自分の内面から変革(へんかく)が始まる。

生命が内面から歓喜(かんき)し、自(みずか)らの生命が、不幸から幸せへと変革されていく。

そしてそれは行動となり、その人の人生と未来を大きく動かしていくことになっていく。

すなわち、悩みや問題を解決し、やがて夢や希望をかなえていけるようになっていく。



内面の問題は、実は、内面だけの問題ではない。

内面の問題は、すべての問題だといってもいいくらい、実は重要な問題であると思う・・。

その内面の問題を解決していったとき、さまざまなことがパッと開ける。

悩みも、人生の方向性も、幸せも、希望も、そして勝利も開けていく。


それを可能にする、究極にして絶対(ぜったい)の力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・。

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ひまわりの種339 [人生]

人は時として、岐路(きろ)に立たされる。

それは、ものすごく単純(たんじゅん)にいうと、
「幸せになるか」「不幸になるか」という岐路です。

大げさに言えば、人はその岐路に立った時、それを自分で選んでいる!と言えます。

環境(かんきょう)がどうだとか、世間(せけん)がどうだとか、人がどうだとか、自分の状況(じょうきょう)がどうだとか、いろいろなことがあって見えづらくなっているけれど、実は、「幸せになるか」「不幸になるか」・・・、それを自分で選んでいると言えると思います。そしてその積(つ)み重(かさ)ねが、今の自分になっているんだと思う。

けれど人は、往々(おうおう)にして、幸せになるか、不幸になるかを選んでいるのが自分であるということを、忘れてしまう。

環境が悪い、状況が悪い、人が悪いと、人や世の中に振(ふ)り回されて、肝心(かんじん)なことを忘れてしまう。

それは、幸せになるかならないかを決めるのは、自分自身だということです。


ところが、だまされてしまう・・・!


さまざまな状況や周りの人たちの見方や風潮(ふうちょう)、自分の今のさまざまな技量(ぎりょう)などのことを考えてしまい、自分は幸せになれないのではないか?などと錯覚(さっかく)してしまう。

周りの環境や状況、まわりの人々の見方や流れにだまされてしまい、幸せになるかならないかを決めているのは、自分自身であることを忘れてしまう。


けれど、だまされてはいけない!!

幸せになるか、ならないかを決めるのは自分自身なのだから!!


そして、それらの環境や状況、人々の風潮など、それら一切(いっさい)にだまされず、決然(けつぜん)と幸せになっていくために、創価学会の南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰がある・・!

自らの一念(いちねん)、自らの心、自らの全生命で道を切り開き幸せになっていける、その究極(きゅうきょく)の行動が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

創価学会(そうかがっかい)の南無妙法蓮華経の仏法が、どれだけスゴイか・・!
どれだけ、人々を幸せにしてきか・・・!
どれだけ、未来を切り開き、勝利をもたらしてきたか・・!

それは、本当に計りしれない・・!

また、そのことによって、世界にどれだけ平和を、幸せを、もたらしてきたかも計り知れない。


ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる時、その人は、人生の主人公(しゅじんこう)に変わる。
ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえる時、その人は生命の王となり、人生を切り開く王者となる。

ドラマや映画の一国の王のように、自(みずか)らの力で幸せを勝ち取る生命状態に変わっていく。
そして人生を勝利していける。

※ちなみに、ご本尊とは、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。


よく宗教は弱いものがやるものだとか言うけれど、創価学会の信仰は、そういう部類(ぶるい)のものとはまったく違(ちが)ってくる。逆(ぎゃく)です。

すなわち最強の人間が行う、最強の王者の信仰だということです。
というか、ご本尊に南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自然に人間の王者になっていくんです。

そして、先ほども言ったように、悩みを解決し、夢や希望をかなえて、幸せと勝利をつかんでいける。



話しは違(ちが)いますが、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、このようなことを言っていました。

「絶対強盛(ぜったいごうじょう)な信心(創価学会の信心)とは、子どもが怖(こわ)いことが起こると、「おかあちゃーん」と母親のところへ飛んでいくようなものです。その気持ちで御本尊に願ったら、すごいことになります。

これは理論(りろん)ではありません。信心です。母親のところへ、死にものぐるいというか、純粋(じゅんすい)というか、それ以外にないのだと言う、その一念(いちねん)で御本尊に直結(ちょっけつ)し、願っていけば、どんなことも通じます。その祈りはかないます。それが信心の究極(きゅうきょく)です。」

何を言いたいかというと、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰が、どれだけスゴイか・・!ということです。
本当に信じ、本気で実践していった時、どれだけ素晴(すば)らしい、どれだけスゴイ結果が生まれるか!ということです。そして、どれだけ幸せになっていけるか!ということです。

だから、世の中の環境や状況にだまされてはいけない!!

創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の可能性は、無限大(むげんだい)なのだから。


創価学会二代会長の戸田城聖先生は、言われた。

「人生は、強気でいけ!!!」

世の中は、世界は、良く言えば、愛情や善意に満(み)ちている。
逆に、悪く言えば、悪意やマイナスのエネルギーが充満(じゅうまん)しているとも言えます。

そして、時として、そのマイナスのエネルギーが、自分に襲(おそ)いかかってくることもある。
さまざまな環境や状況、人間模様(にんげんもよう)や自分に降(ふ)りかかってきた運命が、自分を押しつぶそうとする時もある。


けれど、戸田先生は言われた。

「人生は強気でいけ!!」

そして、強気でいけるだけの絶対的な確証(かくしょう)であり、力(ちから)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

そして、決然(けつぜん)と、その創価学会の仏法の信仰に立ち上がった時、世界の善意のエネルギー、幸せのエネルギーが、自分のもとに集まってくる。自分の世界が、善意や愛情に満ちた世界に変わっていく。

そう言えると思います。


だから、周りがどうであれ、状況がどうであれ、それらの環境にだまされてはいけない!!

なぜなら、幸せになるかならいなかを決めるのは自分自身なのだから・・・!

そして、自分自身で幸せを切り開ていける、自分自身で悩みを解決していける、夢や希望をかなえていける、決定的で最強無敵(さいきょうむてき)の武器(ぶき)であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・・!

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ひまわりの種338 [幸せ]

人気のあるマンガ、あるいはアニメに、
「進撃(しんげき)の巨人」というのがあります。

その「進撃の巨人」の中で、
「女型(めがた)の巨人」というのが
出てきます。

女型の巨人は強力な敵(てき)で、最終的に、この女型の巨人と主人公であるエレンは、戦うことになるのだけれど、
その女型の巨人の正体が、軍の訓練兵として3年間、同じ釜の飯(かまのめし)を食べた仲間である、アニであることを知って、エレンは戦うことができない。

エレンの巨人化の能力を使うためには、確固(かっこ)たる目的が必要で、目的がはっきりしないと、エレンは巨人化の能力を使うことができない。

敵であるアニが、訓練兵時代の仲間であったために、それがブレーキとなって、どうしても巨人化することができない。

最終的には、他の仲間の叱咤激励(しったげきれい)によって、エレンは巨人化してアニと戦うが、エレンが躊躇(ちゅうちょ)し巨人化できなかったのも、ごもっともだとも思う。


何かの明確な目的がないと、どんなにスゴイ力(ちから)も使うことができない・・・。

明確な目的を持って、本当にそうしようと思わないかぎり、その力を使うことができない。


確かにそれは、うなずける。


目的もなく、本当にも、そう、思っていなかったら、その力が出てくるとは思われないからです。

また、自分が、目的のもと、本当にそうしようと思うから、その力を発揮していくことができる。


これは、アニメやマンガの中だけの話しではなくて、現実の中でも、そうだと思う。


人は、何かの目的を持って、ほんとうにそうしようと思わなかったら、その力を発揮(はっき)することができない。

目的に目覚(めざ)め、ほんとにそうしようと思うから、そのように行動し、それを成し遂(と)げていく。

はっきりとした目的意識をもって、ほんとうにやろうと思う時、そのための、さまざまな知恵や能力を発揮し、自分が実現したいことを成(な)し遂げていく。


それが、人間というものだと思う。


けれど、それが難(むずか)しいのも、現実だと思う。

だから、幸せになりたいのに、なかなかなれないことも、多々(たた)あると思う。

また、不幸に沈(しず)んでいってしまう人々も、多くいる・・。

やはり、幸せになっていくためには、明確な目的意識と、それを開花させていくための『方途(ほうと)』が、必要になってくると思う。

その明確な目的意識と、それを実現していくための方法と行動が噛(か)み合っ時、人は幸せになっていけるのではないか・・!と思う。


実は、その、幸せに対する明確な目的意識と、それを実現していく究極(きゅうきょく)の方法が、
創価学会(そうかがっかい)が実践している、
南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰なんです。

創価学会が実践(じっせん)する、南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰は、自分の中に、幸せに対する最高の目的意識をもたせてくれる。

目的意識を持つというよりも、南無妙法蓮華経をとなえていると、自分の中から、幸せになろうとする、「最高の意識(いしき)」が、自然に湧(わ)き上がってくる。

やがて自分の中から湧き上がってきた「幸せに対する最高の意識」は、さまざまな知恵や勇気、行動となって、その人を動かし、結果として、その人を幸せにしていってしまう。


南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の中から、幸せに対する最高の意識を目覚(めざ)めさせ、幸せに対する最高の目的、また、幸せに対する最高の生命力、最高の勇気や知恵をもたらし、それは、自分の中から、さまざまな力(ちから)、能力や可能性を発揮(はっき)することになっていき、そうなった時、おのずから、その人は、幸せになっていくことができる。


それが、創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰』
だということです。

また、南無妙法蓮華経をとなえることの可能性と力(ちから)は、無限大なので、南無妙法蓮華経をとなえていくことによって、自分だけでなく、まわりの人々、環境や世界からも、幸せをもたらす、さまざまな可能性を引き出し、それは、結局(けっきょく)、自分のいる世界、環境を幸せに変えていくことになる。


ゆえに、勝利していける。
幸せになっていける。



進撃の巨人の中のエレンのように、人は人生において、
戦うか戦わないかの、瀬戸際(せとぎわ)に立たされる時が、ある・・・!!

その時に、勝つか負けるかは、
その人の中にある、
『目的意識』にかかっている。

その『目的意識』が、真(しん)に正しく、強靱(きょうじん)なものであるならば、その人は、どんな瀬戸際(せとぎわ)に立たされたも、戦うことができる。

そして、勝つこてができるだろう。

その最も正しく、最も強靱(きょうじん)な目的意識を持つことができるのが、この創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、言えます。

幸せと平和に対する、
これ以上素晴らしく、
これ以上強靱な目的意識は、
ありません!!

また、幸せと平和に対する、
これ以上の希望であり、
エネルギーもありません。

幸せと平和に対する、
無限(むげん)の力(ちから)となるもの!

それが、
創価学会の、
仏法(ぶっぽう)の信仰です。


だから、創価学会の人たちは、
幸せになっていけるんです・・!

また、創価学会の信仰と、
他の信仰との違(ちが)いは、
ここにあります!!!

どんな苦難(くなん)の中でも、
どんな絶対絶命(ぜったいぜつめい)
の時であろうとも、
平和と幸福に対する、
最高の目的意識をもって、
立ち上がることができる。

エレンが立ち上がったように・・!

そして、勝利していける!!!


・・・
重要なことは、創価学会が実践している、
『南無妙法蓮華経をとなえる』という仏法の実践が、
自分の中から、幸せに対する最高の目的意識を、
『現実に、湧(わ)き上がらせる!!』ということです。

そして、それにともない、幸せをもたらすための、
最高の生命力、
最高の勇気、
最高の知恵が、
実際に湧(わ)き上がってくる!ということです。


それは結局、自分の中から、さまざまな可能性を発揮していくことにつながり、やがて、
悩みの解決や、夢や希望の実現など、
さまざまなことを可能にし、
その人に勝利と幸せをもたらしてくれる。


あたかもそれは、
「進撃の巨人」の中で、
エレンが、明確な目的を持った時、
巨人化という、とてつもない力を
発揮できたように、
大きな大きな可能性と力を、
発揮してくれる・・・。

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ひまわりの種337 [世界]

1973年にノーベル平和賞を受賞し、アメリカの国家安全保障担当補佐官や国務長官を務めた、ヘンリー・A・キッシンジャー博士は、創価学会インターナショナル会長である池田先生と、8度にわたり、対談している。

池田先生は、キッシンジャー博士に質問している。

「人物評価(ひょうか)について、どのような基準(きじゅん)をお持ちでしょうか。」

アメリカの国務長官を務(つと)め、世界各国のリーダーと丁々発止(ちょうちょうはっし)の交渉(こうしょう)を繰(く)り広げてきた、世界を動かす立役者(たてやくしゃ)である。
答えは明快(めいかい)だった。

「私の変わらざる信念は、交渉の相手を理解することが、きわめて重要(じゅうよう)だということです。相手の知性ではなく人格(じんかく)です。知性の程度(ていど)を確かめることはごく簡単(かんたん)です。しかし人生における困難(こんなん)な問題はすべて、賛否両論(さんぴりょうろん)が知的レベルで真(ま)っ二つに分かれた場合に起きるのです。

ですから、いくつかの可能性の中から一つを選択(せんたく)する場合に『人格』がカギとなるのです。」


池田SGI(創価学会インターナショナル)会長とキッシンジャー博士との出会いは、小雪が舞(ま)うアメリカの首都ワシントンだった。国務長官の博士が、国務省の執務室(しつむしつ)で池田SGI会長を待っていた。1975年1月13日である。

池田SGI会長が、73年1月に、ベトナム戦争終結(しゅうけつ)を呼びかけるニクソン大統領宛(だいとうりょうあて)の書簡(しょかん)を、当時、大統領補佐官だったキッシンジャー博士に託(たく)して以来、博士と池田会長との手紙のやりとりが続いていた。訪米の際には立ち寄(よ)ってほしいとの、博士からの歓迎の意が示されたことを受けての訪問となったのである。

あいさつ、会談風景の撮影(さつえい)が終わると、通訳(つうやく)一人だけを介(かい)して、二人は向き合った。

キッシンジャー博士は、たずねた。

「率直(そっちょく)にお伺(うかが)いしますが、あなたたちは、世界のどこの勢力(せいりょく)を支持(しじ)しようとお考えですか。」

博士が直球を投げてきた。

まさに、知識ではなく人格(じんかく)、すなわち、どんな思想、信念(しんねん)で動いているかを見きわめようとする、短いが鋭(するど)い問いである。

もちろん、池田SGI会長が前年にソ連、中国を相次(あいつ)いで訪問し、コスイギン首相、周恩来(しゅうおんらい)総理らと会った事実が前提(ぜんてい)にある。

即座(そくざ)にSGI会長が答えた。

「私たちは、東西両陣営(りょうじんえい)のいずれかにくみするものではありません。中国に味方(みかた)するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもありません。私たちは、平和勢力(せいりょく)です。人類に味方します。」

キッシンジャー博士の顔に微笑(びしょう)が浮(う)かんだ。

会見を終える時、キッシンジャー博士は言った。

「また、友人としてお会いしたい。これからも連携(れんけい)を取り合いましょう。」


「中国に味方(みかた)するわけでも、ソ連に味方するわけでも、アメリカに味方するわけでもない。
私たちは、平和勢力(せいりょく)です。
人類に味方します。」

人は、このことを、わかろうとしない。

なにか裏があるのではないか・・?
と邪(よこしま)なことを考えてしまう。

そして、創価学会に対して、どうしようもないような下劣(げれつ)なデマを流したりしてきた。

けれど、もしそれらの下劣(げれつ)なデマが正しければ、創価学会(そうかがっかい)は、これほど世界に発展することはなかったでしょう。
また、創価学会の人たちが喜々(きき)として、創価学会の活動に取り組むこともないだろうし、創価学会の信心を真面目に実践(じっせん)することもなかったでしょう。

それに、創価学会の信心と活動を実践することによって、創価学会の人たちが、悩みを解決したり、夢や希望を実現したりして、幸せになっていくこともなかったでしょう。

ところが実際は、創価学会の人たちは、その創価学会の信心と活動によって悩みを解決し、夢や希望を実現して、大いなる幸せをつかんでいる。

それは、創価学会が正しい証拠(しょうこ)であり、世間のデマが間違(まちが)いであることの証明になります。

そう考えていった時、なにか裏があるのではないか・・?と、創価学会に対して、邪(よこしま)なデマを流している連中のほうが、よっぽど、何か裏があり、「邪(よこしま)」なことを企(たくら)んでいると考えるのが、妥当(だとう)なはずです。


キッシンジャー博士の話しに戻ると、博士は、米中接近(せっきん)、米ソの緊張緩和(きんちょうかんわ)、ベトナム戦争からの撤退(てったい)、中東和平交渉(わへいこうしょう)など、まさに、『歴史を書き換(か)えた』その実績は、枚挙(まいきょ)に暇(いとま)がない。

博士は、池田SGI会長に語った。

「どんな偉大(いだい)な事業も、はじめは、すべて「夢」にすぎなかったのです。だから必要なのは勇気です。前人未到(ぜんじんみとう)の道をひとりゆくには、勇気が必要なのです。」

それを地(じ)でいったのが、71年7月、極秘裏(ごくひり)に訪中して、中国の周総理と会見し、ニクソン大統領の訪中、米中国交正常化に道筋(みちすじ)を付けたことである。

国務長官を退(しりぞ)いた後も、博士は、米外交に影響力(えいきょうりょく)を持つ重鎮(じゅうちん)として、注目を集め続ける。2007年に発表した、核兵器廃絶(かくへいきはいぜつ)を求める共同提言(ていげん)は、核抑止(よくし)戦略の当事者だった人物の発言として重大な意義(いぎ)をもつ。


博士と池田SGI会長との8度目の会見は、96年6月17日。同月、SGI会長がキューバでカストロ国家評議会長と会う予定を知ると、ニューヨークの宿舎(しゅくしゃ)に滞在中(たいざいちゅう)の池田会長を、博士が訪(たず)ねてきた。同年2月、キューバが米民間機を撃墜(げきつい)し、両国関係は悪化していた。

博士は関係の改善(かいぜん)を願い、池田SGI会長のキューバ訪問に強い期待を寄(よ)せていた。そしてSGI会長は、カストロ議長と会見した際、キッシンジャー博士の真情(しんじょう)を伝えたのである。


博士とSGI会長との初会見から40年。

創価学会は、世界192カ国に広がり、博士と語り合った世界平和の道は、大きく広がったと言える。

2015年には、米国とキューバの国交正常化も実現した。


聞いた話しですが、キッシンジャー博士は、池田SGI会長と会見した後、池田会長を評(ひょう)して、こう言ったそうです。

「グレイト・パーソナル(偉大なる個性・人格)」
・・と。

人格を最も重要視(じゅうようし)する博士の言葉だけに、重みがある・・。

「グレイト・パーソナル・・!」

キッシンジャー博士の池田SGI会長に対する期待とその対応を見るとき、その言葉はまさに真実であり本当なんだ!と、心から思う・・・。

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ひまわりの種336 [悩み]

人間、だれでも失敗することはある・・。

当然(とうぜん)です。

その失敗が、簡単に流すことのできる軽(かる)いものなら、いい。

けれど、時として、その失敗が、立ち直れないくらい大きな打撃(だげき)をもたらすこともある。

それも、事実だと思う。

それが、ビジネスの失敗である場合は、自分の生活すら、危(あや)ぶまれてしまう場合もある。
また、それが、人間的な失敗である場合も、打撃が大きい。精神的に、立ち直れないほどのショックを受けることもある。
また、その精神的ショックが、自分の体調(たいちょう)を害(がい)し、さまざまな病気にかかってしまう場合もある。

そういう、さまさまな失敗やショックな出来事は、ないにこしたことはないけれど、人間だから、確かに、そういう出来事に出くわすこともある。

そのショックな出来事を、いかにして、乗り越えていくか・・・?

ここに、人生の勝敗が、分かれてきてしまうのではないだろうか・・・。

ショックな出来事が、どういうことであれ、そこから立ち直るのは、大変なことです。

よく、失敗を勝利の因(いん)にするというけれど、それがどんなに困難(こんなん)であるか・・。どれだけのエネルギーを必要とするか・・・。それが、どれだけ大変なことか・・、わかる人は、わかると思う。

それら、さまざまな失敗がもたらす打撃・・・。

それらの打撃を本当に解消(かいしょう)していくことは、できるのだろうか・・・?

時とともに、その痛みは消えていくことはあると思うけれど、本当にそれらの失敗からの打撃を解消できるのかと、問いかけていったとき、確かに疑問(ぎもん)は残る。

その失敗からの打撃を引きずり、痛手(いたで)を負(お)ったまま、人生を生きていく場合もあるのでは、ないだろうか?

実はその、それらの失敗からの打撃を、現実に解消し、現実にプラスに変えていける、決定的な方法が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

そういう、人生の痛手を負った時、本当に、創価学会の『南無妙法蓮華経の仏法』のスゴサがわかる。
創価学会の南無妙法蓮華経の仏法の偉大(いだい)さ、その大きな大きな価値(かち)が、わかる。

たとえ、人生に大きな失敗をし、打撃を受けたとしても、その打撃すらプラスに変えていける、もの凄(すご)い力が、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰には、現実にある!!

『変毒為薬(へんどくいやく)』というけれど、毒を薬に変えてしまう、もの凄いエネルギーが、南無妙法蓮華経の仏法にはある。

そして、打撃を乗り越え、幸せになっていける。勝利していける。


『悲しみやショックを昇華(しょうか)していく』というけれど、それを現実に成し遂(と)げ、幸せをもたらしていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと思う。

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、この創価学会の仏法の信仰は、『過去さえ変えていける!』と言っていたけれど、それは、どんな悲しい出来事、ショックな出来事、打撃であろうとも、それを、『それがあったから幸せになれた!』と言えるほどに、転換(てんかん)して大いなる幸せをつかんでいける!!ということだと思う。

過去がどうであれ、現実に今、大いなる幸せをつかむことができたとしたら、過去の悲しいショックな出来事でさえ、あたかもそれが、良い出来事であったかのように、思う事ができる!!

それほど大きく、宿命転換(しゅくめいてんかい)、人間革命していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

だから、この創価学会の仏法の信仰があれば、かりに、大きな打撃を受けたとしても、大きな失敗をしたとしても、真剣に創価学会の南無妙法蓮華経の仏法を実践(じっせん)していくことによって、それすら乗り越え、変毒為薬(へんどくいやく)して、幸せになっていける。失敗すら、大きな成功に変えていってしまう!

そういう、スゴイ変革、スゴイ幸せ、スゴイ勝利を、もたらしていけるのが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです・・・!

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ひまわりの種335 [幸せ]

幸せについて考える時、いろいろな基準(きじゅん)や考え方は違(ちが)うと思うけれど、ぼくが思うに、意識する、しないは別にして、幸せになる人というのは、基本的に、本気で幸せになろうとしているのではないか?・・と思う。

幸せになる人というのは、本気で幸せになろうとしているから、幸せになる・・・。

そういう考え方にも、一理(いちり)あるのではないか・・と思う。

ところが、幸せにならない人というのは、確かに幸せにはなりたいけれど、「自分なんか幸せにはなれないのではないか・・」とか、ああだ、こうだ、と余計(よけい)なことを考えて、実は、ほんとうに幸せになろうとは思っていない場合もあるのではないだろうか・・。

ほんとうに幸せになろうと思っていないのだから、結果として、本当に幸せになるはずがない・・・。

そう、言えると思います。

だれでも幸せになりたいけれど、環境(かんきょう)や周りの人々、世間(せけん)のことばかり気にかけて、自分の境遇(きょうぐう)や世の中のせいにして、幸せにならない理由を並(なら)べ立てる。

そこに盲点(もうてん)があるのかもしれない。

幸せになる、ならないは、実は、自分の外にあるものによって決まるのではなく、自分の中にあるものによって決まる。
幸せになるか、ならないかという責任(せきにん)は、自分の外にあるのではなく、『自分の中』にある。

そう言えるかもしれない。


問題は、自分の中にあり、自分の中にある「なにか」を、幸せにしていかなかったら、幸せになるはずがない・・。


自分は本当に幸せになろうとしているのだろうか?
実は、幸せになろうとしていないのではないか?


そこに問題があるのかもしれない。


では、『本当に幸せになろうとする』とは、どういうことだろうか・・?
『本当に幸せになろうとする』といったって、漠然(ばくぜん)としていて、よくわからない。
意味がわからない・・・。

だから、漫然(まんぜん)と生きるしかなくなっていくのかもしれない。

その、『本当に幸せになろうとする』ということ。
自分の生命自体を、『本当に幸せにしよう!とする』ということが、実(じつ)は、創価学会(そうかがっかい)の人たちが実践している、『南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)を、となえる!』と、いうことなんです。

『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしようとする!ということなんです。
また、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経』だとも言えます。

南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまうことなんだから、その結果として、幸せにならないわけがないんです。だから、幸せになっていける。現実に、悩みや問題を解決して、夢や希望を、かなえていける。

自分の生命自体を、そういうふうにしてしまう!!のが、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということだと思います。

だから、創価学会の人たちが、幸せにならないわけがなく、現実に悩みを解決し、夢や希望をかなえて、世界中の人々が幸せを勝ち取っています。


南無妙法蓮華経の力と可能性は、計り知れないから、一概(いちがい)には言えないけれど、南無妙法蓮華経をとなえることは、自分の生命の中から、本当に幸せになろうとする力を呼び覚(さ)ます。本当に幸せになっていく生命の力を無限に湧(わ)き上がらせ、輝(かがや)かせていく。

その結果として、悩みを解決できたり、生命を蘇生(そせい)させて病気を克服(こくふく)できたり、夢や希望をかなえていけるようになっていく。

それが『南無妙法蓮華経』であり、『南無妙法蓮華経をとなえる』ことではないかと思う。


南無妙法蓮華経をとなえることがスゴイと言っても、いまいち、ピンとこないかもしれないけれど、池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、詩の中で、こういうことを言っています。


「だれもが、宇宙の無限(むげん)の力を秘(ひ)めた「小宇宙(しょううちゅう)」である。
だから、あの「太陽」も自分の中にある。
自分の中に輝(かがや)く「銀河(ぎんが)」もある。
星々(ほしぼし)をわたりゆく無数の光が、この胸(むね)の中にある。
「内(うち)なる宇宙」も無限である。
だから、私は言っておきたい。
どんな悩みがあっても、
君は負けるな!
どんな障害(しょうがい)があっても、
夢をあきらめるな!
自分の中に「太陽」を輝かせて生き抜(ぬ)こう!」


ぼくが思うに、南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、こういうことだと思う。
南無妙法蓮華経をとなえて生きるとは、自分の中の内なる宇宙を、無限に輝かせ、どんな悩みも、どんな障害も乗り越えて、夢や希望をかなえ、幸せを勝ち取っていくことだと思う。
また、それができる!のが、南無妙法蓮華経をとなえる生き方だと思う。

だから、『南無妙法蓮華経をとなえる』ということは、自分の生命自体を、本当に幸せにしてしまう究極(きゅうきょく)の行動であり、それゆえに、必ず幸せになっていける・・!


それが、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だと、いうことです・・・。

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ひまわりの種334 [希望]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が言っています。

『御本尊(ごほんぞん)は、なぜ大切なのか ------ 。

それは、御本尊への「信」によって、私どもの胸中(きょうちゅう)の本尊、仏界(ぶっかい)を開けるからです。

この「御本尊」は、自身の「信心」のなかにこそある、と大聖人(日蓮大聖人)は仰(おお)せです。

妙法(南無妙法蓮華経のこと)の当体(とうたい)である自分自身、人間自身が大事なのです。その胸中の妙法を顕(あらわ)すためにこそ、御本尊が、こよなく大切なのです。』

ちなみに「ご本尊」とは、創価学会の人たちが南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえて祈る対象で、仏(ほとけ)の生命そのものを、あらわしたものであり、自分の生命そのものを、あらわしたものでもあり、その必ず幸せになっていける仏(ほとけ)の生命が、自分自身の中にあることをあらわしたものが、ご本尊(ほんぞん)です。

そのご本尊がなぜ、大切かというと、自分たちの胸中(きょうちゅう)の本尊、自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くためだという。

自分の中にある本尊、仏界(ぶっかい)を開くといっても、わからないと思いますが、自分の中にある幸せを開く力、無限の力、計(はか)り知れない無限の可能性を開いていく!ということです。

その幸せを開く無限の力が、『ご本尊』にはある!!ということです。

そして、それは自分の中にあるのだけれど、その無限の力をどうして開花していっていいかわからない。具体性がない。

その具体性がない自分の中にある無限の力を、形として顕現(けんげん)したものが、御本尊だということです。

そして、御本尊を信じ、南無妙法蓮華経をとなえて真剣に祈っていくとき、その自分の中にある、無限の力、幸せになっていける力、智慧(ちえ)や希望、勇気が、まさに自分の中から湧(わ)き上がってくるということです。

だから、創価学会の「ご本尊」は、おすがりするのとは違(ちが)う。
また、棚(たな)からぼた餅(もち)のようなことを期待するものとも違う。

根本は自分自身なんです。

その根本の自分自身に挑戦するために、「ご本尊」はある。

その根本の自分自身に対して、どんなことがあっても絶対にあきらめず、負けないで、自分の可能性、智慧(ちえ)、希望をどこまでもどこまでも開花していくために、ご本尊はある!!

また、自分では思いもよらない可能性、力、運やチャンス、それらあらゆるものを引き出していけるのが、創価学会が、南無妙法蓮華経をとなえている「ご本尊」だと言えます。



人間には無限の力がある。
だれでも幸せになっていける力がある。
だれでも、困難(こんなん)や悩みを乗り越え、勝利していける力がある。

確かにそれは、あるんだけれど、ややもすると人は、そうは思えなくなっていく。

さまざまな状況(じょうきょう)や悩み、困難に押(お)しつぶされ、自分が幸せになれるとは思えなくなってしまうことが多々(たた)ある。まして、自分の中に、無限の可能性、言い換(か)えれば、「無限の宝(たから)」があるとは、なかなか思えない場合もある。そして、時に流され、人生に流され、一生を終わってしまう。

そういうことも、確かに、多々あると思う。

それを打ち破ることが、どれだけ困難か・・・。
その自分の中の闇(やみ)を打ち破ることが、どけだけ大変なことか・・・。
また、それができないから、多くに人が自分が希望する人生を送れず、不幸に沈(しず)んでいってしまう・・・。

その闇(やみ)、絶望、苦しみ、悩みや困難を、根底から打ち破るために、『ご本尊』はある!
また、それができるのが、創価学会が信じ、祈っている「ご本尊」です。


ご本尊は、自分の中にある、「幸せになる力」を現実に引き出す!!
絶望を消し去り、希望を生み出す!!
本来、人間は幸せになるために生きている。
そして、その幸せになるために無限の力を引き出し、困難を乗り越え、勝利していける。

その本来、人間がもっている、幸せになる力を無限に引き出し、悩みを乗り越え、夢や希望をかなえて勝利していけるのが、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法(ぶっぽう)の信仰であり、創価学会が信じ祈っている『ご本尊』だと、いうことです・・!

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ひまわりの種333 [悩み]

以前、聖教(せいきょう)新聞に池田先生(創価学会インターナショナル会長)が掲載(けいさい)てしてくれている「新・人間革命」に、兄が若くして他界(たかい)したある女性の話しが、のっていました。

彼女の兄は、母に語っていた。

「人生って、なんて不公平(ふこうへい)なんだろう。若くして死ぬなら、生まれてこない方がよかった。でも、そこにも、何か深い意味があるのかもしれない。それを教えてくれる、人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」

そして、彼女は、創価学会の会合に参加する機会(きかい)にめぐまれ、そこで、兄のことを語り、質問している。

「兄の言うように、正しい宗教が本当にあるのでしょうか。私には、人生も社会も不公平(ふこうへい)だし、正直者が損(そん)をするのが、この世であるとしか思えません。」

それに対して、池田先生は、答えている。

「そうですか。お兄さんは、最後まで、この日蓮大聖人(にちれんだいしょうにん)の正法(しょうほう)を探し求めていたんですよ。ご冥福(めいふく)を祈ってあげてください。南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)とお題目(だいもく)をとなえれば、全宇宙に、その力は波動(はど う)していきます。」

「あなたも、ご苦労されたんですね。しかし、人間は、幸福になるために生まれてきたんですよ。仏法(ぶっぽう)によって、必ず幸せになれるんです。あきらめてはいけません。」

「一緒に信心なさいませんか。人生には、幸福になるための軌道(きどう)があるんです。それが大聖人の仏法です。正しい人生の軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実(み)を結(むす)びます。しかし、根本の軌道が誤(あやま)っていれば、苦労も実(みの)りません。穴(あな)が開いた容器(ようき)で水を汲(く)もうと思って奮闘(ふんとう)しても、水が汲めないのと同じです。」


人生には、幸福になるための軌道(きどう)がある・・。
そして、その正しい軌道に乗ったうえでの苦労は、すべて実を結ぶ・・!

その幸福になるための軌道が、創価学会(そうかがっかい)が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです。

自分の人生が、うまくいかない・・。
また、悩みや苦しみだらけである。
また、どうせ俺の人生なんか・・と、あきらめてしまう場合もあるかもしれない。

それらは、すべて、自分の人生が、幸福の軌道に乗っていないことの証明(しょうめい)だとも言えると思います。

では、なぜ?、自分の人生は幸福の軌道に乗っていないのか・・?

それは、その人が、間違った思想、間違(まちが)った宗教の上に、生きているからだと表現できます。
そしてその、間違った宗教が、日本にはびこっている葬式仏教(そうしきぶっきょう)や観光宗教、神社信仰などです。

その間違った宗教の影響(えいきょう)のもとで、生きているとすると、その間違った当然(とうぜん)の結果として、自分の人生も、間違ったものになっていく。

自分の人生が間違ったものになっていったなら、悩みが解決しない。苦悩が絶(た)えない。不幸だらけの人生になっていく。

その根底(こんてい)の原因(げんいん)が、葬式仏教や観光宗教、神社信仰などの間違った宗教だと言えます。また、自分は、そんな宗教などにかかわってはいないと言うのならば、自分の過去世(過去に生きていた時代)に、間違った宗教にかかわってきたために、さまざなな悩み、苦しみをもって生まれてきてしまったと、とらえることもできます。

ともかく、悩みが絶えない。
苦しみだらけだ。
自分の人生は、幸せではない!と思っているとしたら、それは自分が、幸福になるための軌道に乗っていないと、考えるべきです。

では、どうしたらいいか・・?

当然(とうぜん)、正しい軌道、幸福になるための軌道に乗るしかない。

その決定的で、唯一(ゆいいつ)の方法と言えるのが、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰です。

これしかありません。

小手先(こてさき)で、ああだ、こうだとやってみたところで、無理です。何かの宣伝文句に誘(さそ)われ、どんなにお金を使ったところで、無理です。

自分の人生を、自分の生命を、本当に、正しい軌道、幸せの軌道に乗せる方法は、この、創価学会の、『南無妙法蓮華経の仏法』しかありません。

これだけは、言えます。

だれでも、始めは半信半疑(はんしんはんぎ)かもしれない。

けれど、それでも、勇気をもって、創価学会の南無妙法蓮華経をとなえる仏法の信仰をやってみたとき、確かに、幸せに変わる。確信が生まれる。そして、真剣にやっていくことによって、悩みや問題を解決し、夢や希望も、かなえていけるようになっていく。

だから、世界192カ国に、創価学会は広がり、世界中の人々を現実に幸せにしている。


今日、話しをした女性の、亡くなった兄は、言っていた。

「人生をよりよく生きるための、正しい宗教があるように思う。それを探してほしい・・。」

そして、それは現実に存在する。

そして、それが、人生を勝利していくために、幸福の軌道に乗っていく道です。
幸福の軌道をつかむ道です。

そして、それが、宿命(しゅくめい)も悩みも乗り越(こ)えていける、夢や希望をかなえていける、幸せと勝利をつかんでいける、創価学会の、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法(ぶっぽう)の信仰だということです・・!

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ひまわりの種332 [幸せ]

池田先生(創価学会インターナショナル会長)が、言っています。

『ともあれ、これからも、我らの世界広布(せかいこうふ)の前進は、決して止まらない。

なぜか?

それは、幸福を求め、平和を願う友が待(ま)っているからです。
仏法(ぶっぽう)の生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)を、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまないからです。』

ちなみに、世界広布(せかいこうふ)とは、創価学会(そうかがっかい)が実践している、仏法(ぶっぽう)の哲学(てつがく)と思想を基調(きちょう)にして、世界に平和と幸福をもたらしていくことを言います。


創価学会が実践(じっせん)していることは、なにか特別なことではない。一部の人だけに必要となるものでもない。

すべての人が求め、欲(ほ)しているもの・・!!

それが、創価学会の『仏法(ぶっぽう)』です。

池田先生が言うように、世界には、幸福を求め、平和を願う友が待っている。

その、世界の民衆が渇仰(かつごう)してやまない、生命尊厳(そんげん)の哲理(てつり)が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経(なんみょうほうれんげきょう)をとなえる、仏法の哲学(てつがく)だということです。

だから、創価学会は広がり続ける。

疑(うたが)いや偏見(へんけん)があったとしても、すべての人は平和と幸せを求めている。

ゆえに、最終的には、疑いや偏見を乗り越(こ)え、この創価学会の仏法の哲理(てつり)にたどり着く・・!

それは、だれでも、幸せを求めているからです。平和を求めているからです。
その明確な哲学(てつがく)、人生を幸せにしていくエネルギー、力(ちから)が、創価学会の仏法(ぶっぽう)には、確実にある!!ということです。


だれでも、夢があり、希望がある。

また、だれでも、さまざまな現実の悩みがある。

その夢や希望、現実の悩みに対して、いったい、どうしたらいいのか?

だれでも、夢や希望の実現や、悩みの解決に向かって、一生懸命(いっしょうけんめい)、努力していくと思う。

けれど、ほんとうに悩みや問題を解決できるのか・・?
ほんとうに、夢や希望をかなえていけるのか・・?
と考えた時、そこには、さまざまな問題があり障壁(しょうへき)がある。
また、どうしても越えられない宿命(しゅくめい)がある場合もある。

いったい、その宿命に対して、それを明確に打ち破(やぶ)り、解決していく方途(ほうと)があるのか・・?

世間は、それを、だれも示(しめ)していない・・。
だれも、明確な答えを出してくれない。

その宿命に泣き、不幸に落ちていった人たちが、どれだけ多いことか・・。

その宿命に対して、明確な解決方法と力(ちから)を持ち、人生を希望へ幸福へと、確実にもっていっていくことのできる哲学であり力が、創価学会が実践している、南無妙法蓮華経をとなえる、仏法の信仰だということです。

だから、創価学会は、世界に広がり続ける。

それは、当たり前の結果だからです。
必然(ひつぜん)の結果として、創価学会は、また一人、また一人と、広がり続ける。

それは、創価学会が、本当に、世界中の、どんな「ひとり」であろうと、その人の悩みを解決し、夢や希望をかなえる、現実的な、決定的な力であることの、証明(しょうめい)になっていると、心から思う・・・。

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